冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

謡は自分の声域で謡える

 謡のお稽古が好きになった理由の一つは、自分の出しやすい声域でできるところです。

 西洋音楽ではハ長調の「ド」はこの高さというように、客観的で厳密な音の基準が決まっていますが、日本の古典的な声楽には本来、それがないらしい(私も正確なことはよく知らないのですが)。とはいえ、師匠から弟子へと口移しで伝える芸能なので、実際には音の高さが決まっていることが多いようです。

 以前、義太夫、つまり人形浄瑠璃文楽のヴォーカルを10年間習っていたことがあります。義太夫では、師匠のお手本が絶対でした。私が師事した師匠はきわめて高い音から一番低い音まできれいに出せる方で、そこが魅力でしたが、私自身は声の出せる範囲が低音域に偏っていて、高音は苦手でした。高い声を出さないといけない部分でもどうしてもその声が出ず、変な裏声になってしまうので困りました。

 謡は、先生のお手本より低いトーンで謡っても、一向に差し支えないのです。自分の謡いやすい高さで謡って構わないというのは、思いがけず自由を手に入れたみたいに気持ちが楽です。曲そのものにも、うんと高い声を出さないといけない部分は今のところ少ないです。

 もっとも、地謡(じうたい。能のバックコーラスグループ)で謡うときは、メンバーの声の高さがまちまちでは聞き苦しいですから、地頭(じがしら。地謡のリーダー)に合わせることになります。私の場合、地謡を経験するなどあり得ないので、無関係ですんでいます。

 それでも義太夫を習って良かったと思うのは、文楽の公演を見に行ったとき、以前より義太夫がよくわかり、楽しめるようになったから。文楽では義太夫が要(かなめ)なので、義太夫がわかると作品の中身を前より深く味わえるようになりました。

 それに、10年間、義太夫の稽古で大きな声を出すトレーニングを積んだおかげで、謡を習い始めたときも、声の大きさについては最初から先生に「たいへん結構です」と言ってもらえました。たいていは「もっと大きな声を出してください」と何度も繰り返し指導されるのだと、先輩の生徒さんから聞きました。古典芸能ではマイクを使わず生の声で聴衆に聞かせるため、大きな声をお腹からしっかり出す必要があるのです。

 山の会でリーダーとして10人ほどの参加者の先頭を歩いているときも、途中で参加者に指示を出す場合、大きな声が出ると、後ろのほうまで声が届くので便利です。