冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

能「土蜘蛛」(大槻能楽堂)

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 大槻能楽堂で2月8日に「土蜘蛛」を見ました。まずはあらすじをご紹介します。能ドットコムのサイトからお借りしました。

病気で臥せる源頼光(みなもとのらいこう)のもとへ、召使いの胡蝶(こちょう)が、処方してもらった薬を携えて参上します。ところが頼光の病は益々重くなっている様子です。

胡蝶が退出し、夜も更けた頃、頼光の病室に見知らぬ法師が現れ、病状はどうか、と尋ねます。不審に思った頼光が法師に名を聞くと、「わが背子(せこ)が来(く)べき宵なりささがにの」と『古今集』の歌を口ずさみつつ近付いてくるのです。よく見るとその姿は蜘蛛の化け物でした。あっという間もなく千筋(ちすじ)の糸を繰り出し、頼光をがんじがらめにしようとするのを、頼光は、枕元にあった源家相伝の名刀、膝丸(ひざまる)を抜き払い、斬りつけました。すると、法師はたちまち姿を消してしまいました。

騒ぎを聞きつけた頼光の侍臣独武者(ひとりむしゃ)は、大勢の部下を従えて駆けつけます。頼光は事の次第を語り、名刀膝丸を「蜘蛛切(くもきり)」に改めると告げ、斬りつけはしたものの、一命をとるに至らなかった蜘蛛の化け物を成敗するよう、独武者に命じます。

独武者が土蜘蛛の血をたどっていくと、化け物の巣とおぼしき古塚が現れました。これを突き崩すと、その中から土蜘蛛の精が現れます。土蜘蛛は千筋の糸を投げかけて独武者たちをてこずらせますが、大勢で取り囲み、ついに土蜘蛛を退治します。

・・・・・・・・ここまで・・・・・・・・

 前シテ(法師、実は土蜘蛛の精)を演じたのは大槻文藏さん。私の一番好きな能楽師さんです。不気味な空気をまとった人物なのですが、きりっとして魅力的に見えました。ゆっくりとしか動かないのに、突然、手から糸を投げつけるので息を飲みました。その糸がたゆたうような動きを見せながら、美しい放物線を描いて何十本も飛ぶので、見とれてしまいます。届く範囲も思いがけないほど広いです。

 この糸は薄い和紙を3ミリ幅ほどのひも状に切って、細かく捻り、巻いて玉にしてあります。一直線ではない、独特の動きを見せるのは捻られているからでしょう。こうしたものはきっと一つ一つ手作りなので、準備が大変だろうなあと想像しました。法師は3つ4つ、糸を投げつけ、頼光に切りつけられて消えます。

 後場は、後見が運び込んで舞台中央やや奥のあたりに据えた山(土蜘蛛の巣)から後シテの土蜘蛛の精が現れます。「葛城山の土蜘蛛」と名乗るので、この巣は大和葛城山にあるということになります。前に紹介した能「葛城」も葛城山にまつわる伝説をもとにした作品でした。葛城山には古代の伝説がいくつも残っているようです。

 後シテを演じたのは大槻裕一さん。文藏さんの芸養子で23歳という若さです。通常は前シテ、後シテを一人の能楽師さんが演じます。今回、前後で演者が替わったのは、後場でのシテの動きが激しいので高齢の文藏さんより若い裕一さんの方がふさわしいという判断がされたのではないかと思います。それにこの曲は案外、上演される機会が少ないので、若い裕一さんに演じる機会を作る意味もあったのでしょう。

 後場ではシテは何度も何度も糸を繰り出します。見ていて華やかで、スリリングです。舞台の上は糸だらけ。シテもワキもそれを引きずりながらすり足で歩くのが大変そうでした。

 土蜘蛛というのは、実は大和朝廷に征服された先住民のことなのだそうです。ある能楽師さんのブログではこの役を演じる時、ショー的な要素だけにとらわれず、土蜘蛛の恨みや悲哀を表現することが大事だと書かれていました。でも、実際に拝見しますと、そこまで読み取ることは難しかったです。つまり単純に楽しめてしまうのです。

 この作品も歌舞伎が取り入れていて、見たことがあります。歌舞伎では「土蜘」と書いて「つちぐも」と読むようです。どの俳優さんが土蜘蛛の精を演じたかはすっかり忘れてしまいました。「石橋」と同じように、激しい動きや視覚的な美しさに富んでいて、歌舞伎化しやすい曲だと言えます。

 ワキ(独武者)は福王知登さん。囃子方は、笛、貞光智宣、小鼓、成田奏、大鼓、山本寿弥、太鼓、上田慎也と、若い方々でした。

 

動画を見つけました。

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能「石橋(しゃっきょう)」を見ました(大槻能楽堂)

 

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あらすじ(the能.comのサイトよりお借りしました)

中国・インドの仏跡を巡る旅を続ける寂昭法師[大江定基]は、中国の清涼山(しょうりょうぜん)[現在の中国山西省]にある石橋付近に着きます。そこにひとりの樵の少年が現れ、寂昭法師と言葉を交わし、橋の向こうは文殊菩薩の浄土であること、この橋は狭く長く、深い谷に掛かり、人の容易に渡れるものではないこと[仏道修行の困難を示唆]などを教えます。そして、ここで待てば奇瑞を見るだろうと告げ、姿を消します。

寂昭法師が待っていると、やがて、橋の向こうから文殊の使いである獅子が現われます。香り高く咲き誇る牡丹の花に戯れ、獅子舞を舞ったのち、もとの獅子の座、すなわち文殊菩薩の乗り物に戻ります。

・・・・・・・・ここまで・・・・・・・

 2月6日(土)、大槻能楽堂で開かれた「大槻同門会能」のプログラムの最後でこの曲を楽しみました。今回は「大獅子」という小書が付いていたので、前シテの「樵(きこり)の少年」は老人に代わり、前場のあと、アイ狂言を挟まず後場に続きます。後シテは白獅子と赤獅子の二人です。つまり連獅子! 獅子が一人だけの時は赤獅子だそうです。

 歌舞伎舞踊の「石橋物」「獅子物」と呼ばれるジャンル(両者は厳密には違うらしいのですが、詳しいことはよく知りません)は「連獅子」のほか「相生獅子」「英(はなふさ)執着獅子」「春興鏡獅子」など見たことがあり、大好きなジャンルでした。そのオリジナルが能の「石橋」だということは以前から知っていましたが、これまで拝見する機会に恵まれず、この日やっと見ることができました。今回は「新型コロナウイルス終息祈念」と題された公演でしたから、この勇壮で華麗で寿ぎの気分に溢れた曲が選ばれたのでしょう。

  後場で獅子が登場する場面ではまず独特の鋭いお囃子が演奏され、期待感が高まります。白頭(しろがしら)をかぶった獅子、続いて赤頭をかぶった獅子が現れます。獅子は文殊菩薩の霊獣です。白頭は老成していることを表します。赤頭は神通力を持った存在であることを表しますが、ここでは後で見るように、白頭より若いということが示されていました。金銀をふんだんに使った装束の華麗さに目を奪われました。 

 白獅子は威厳があり、はじめは比較的ゆったりとした動きを見せます。赤獅子は動きが速くて俊敏です。一回転?一回転半?してぴたっと着地する所作を何度も見せます。白獅子も次第に興に乗るかのように、豪快な舞を繰り広げます。

 お囃子も激しく盛り上がっていき、見ていて気分が高揚しました。

 豪壮華麗な獅子の舞を見、大きく鳴り響く演奏を聴いて、すっきりと邪気を払っていただいた気がしました。

主な演者は次の方々です。

 シテ 赤松禎友  シテツレ 山田薫

 ワキ 喜多雅人

 大鼓 山本哲也  小鼓 成田達志

 太鼓 中田弘美  笛  斉藤 敦

 後見 齊藤信隆、大槻文藏

 

 歌舞伎舞踊の「連獅子」にも少し触れておきましょう。『日本舞踊ハンドブック』(藤田洋著、三省堂)によると、文久元年(1861)に、河竹黙阿弥作詞、二代目杵屋勝三郎作曲で作られました。現在のような「松羽目物」(能舞台を模した舞台装置で演じる形式)になったのは明治34年(1901)からだそうです。

 前場では狂言師右近と左近の親子が登場し、手に小さい獅子を持って踊ります。見せ場は親が子を敢えて崖から突き落とし、谷底(花道)へ落ちた子がしばらくして崖を駆け上り、親子が再会するという下りです。

 後場では二人は獅子の扮装に着替えて現れます。顔に隈取りを施し、親は白い毛、子は赤い毛を被っています。能の被り物よりずっと長くふさふさしています。衣装は能の装束をまねた豪華なものです。

 見せどころは二人が毛を床に叩きつけたり(菖蒲打ち)、大きくリズミカルに回す(巴、逆巴)場面。二人の息がぴったり合っていないと見ていられません。親子や兄弟で演じられるケースが多いのもそのためでしょう。中村勘三郎が元気だった頃、勘三郎が親獅子、勘九郎七之助が子獅子を演じる三人連獅子を披露していたのが記憶に新しいです。

 クライマックスで長唄が「獅子団乱旋(とらでん)の舞楽のみぎん」とうたうのが印象に残って、あれはどういう意味だろうと長年不思議に思っていました。今回、能の「石橋」を見て、あの詞章は能から取ったこと、「獅子」も「団乱旋」も舞楽の曲の名前だということがわかりました。最後は「獅子の座にこそ直りけれ」で決まるのですが、この言葉も能の「石橋」そのままでした。

 前半で親が子に課す厳しい試練、それを乗り越えて親の元に戻る子の健気さ、親子の情愛を打ち出し、後半では豪快で速い毛振りを見せるところが歌舞伎のオリジナルです。

 同じ古典芸能でも能と歌舞伎は質が違います。能には神事の性質があり、歌舞伎は娯楽だと私は思っています。歌舞伎の「連獅子」は能の「石橋」を巧みに取り入れ、出来の良いエンターテインメントに仕上げているなあと感心します。

 

能「石橋」の動画を見つけました。

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浅草寺特設舞台で上演された中村勘九郎七之助兄弟の歌舞伎舞踊「連獅子」。ダイジェスト版です。

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京都観世会館の字幕表示サービス

   京都観世会館では昨年から字幕サービスを提供しています。国立文楽劇場では舞台の上の方に電光掲示板のようなものが取り付けられていて、そこに太夫が語る床本の文言が表示されます。京都観世会館の場合はそういう方式ではなく、スマホのような機器を貸し出すシステムです。機器の形や大きさは国立文楽劇場のイヤホンガイドに近いです。

 開演前は、この機器の画面で能についての解説が読めます。舞台の平面図と説明(橋掛かりなど)、演者について(シテ、ワキ、地謡、囃子など)など、さまざまです。

 開演後、字幕表示が始まります。謡の文言が逐次、表示されるのです。これがとても便利です。謡の言葉は古い日本語なのでそれ自体がわかりにくい上に、シテは面をつけていることが多いので声がくぐもって、なおさら聞き取りにくいのです。地謡の謡の内容も聞き取るのはなかなか難しいです。お囃子の音が重なるというのも理由の一つです。

 謡の文言にこだわらなくても見ているだけで良い気持ちになれる曲も中にはありますが(「羽衣」など)、何を言っているのかがわかると、能鑑賞のハードルはずいぶん下がります。

 借りるには簡単な申込書を記入し、身分証明書(運転免許証など)を提示します。この手続きを一度済ませるとカードを渡され、次からはこのカードを提示すればいいだけになります。

 使用料は1000円と、ちょっと高い。使う人が増えれば値下げするかもしれませんが、今のところ少数のようです。

 もう一つ残念なのは、詞章の表示のタイミングが遅れること。シテや地謡の謡が次へ進んでいるのに、その部分が表示されるのが少し遅れます。「今、なんて言ったのかな?」と画面を見ても、まだ前の部分が残っていて、少したたないと表示が変わりません。わずかな時間差であっても、その間、目が舞台と画面を行ったり来たりすることになるので疲れます。ここのところだけ改善してもらえるといいなあと思います。

能「葛城」大和舞 その2(京都観世会館1月例会)

 後見が1m弱四方の台の四隅に柱を立てて幕で覆ったもの(「山」というらしいです)を舞台中央、小鼓方・大鼓方の前あたりに運び出します。幕は白で、屋根もわただったか、白いもので覆われています。雪を表しているのです。

 前シテは白い唐織を壺折りにした装束で橋掛りに登場します。白い笠もかぶっています。作り物の白とシテの装束の白とが、雪が深く降り積もって白一色に覆われた風景をイメージさせてくれます。壺折りの下からのぞく小袖(?)に目が吸い寄せられました。地の色が、橋掛りでは灰色がかった紫に見えて、渋い美しさだったのです。舞台に進むと、緑がかったグレーに見えて、これもきれいでした。色が変わって見えるのは光線の加減でしょう。雪持ち笹の文様も見事です。

 シテを演じたのは観世清和さん。観世流のご宗家です。この方はいつも装束が豪華で目の保養になります。能の五流派はどちらも古い家柄ですが、中でも今一番隆盛しているのは観世流。ご先祖から受け継いだ装束や、当代で新調なさったものなど、装束類をたくさん所蔵しておられるのでしょう。

 ワキの山伏は福王茂十郎さん。昨年、文化功労者に認定されました。私が拝見するのは昨年1月、同じ京都観世会館で上演された「羽衣」以来かもしれません。子息、それも和幸さんの弟さんの知登(ともたか)さんを拝見する機会が多かったです。

 中入でシテは作り物の中に入り、装束を着替えます。後見の林宗一郎さんが手伝っておられましたが、狭い「山」の中で短い時間で装束を替えるのは、それ自体が鍛え上げた技術の一つなのでしょう。

 後シテの装束は、黄色系の淡い地色に雅楽器を散らしたもの。天冠には赤く色づいた蔦が飾られています。この姿もとてもきれいでした。面は前・後ともに美しい女性を表すもので、「醜い容貌」を思わせる要素はまったく見られません。舞姿も優雅。うっとり惚れ惚れと見とれてしまいました。

 囃子方の顔ぶれも豪華。大鼓は河村大さん。小鼓は大倉源次郎さん。太鼓、前川光長さん、笛、杉市和さんでした。話の細部にこだわるのをやめて、美の世界に浸りました。

 休憩を挟んで仕舞「難波」林宗一郎さん、「屋島」杉浦豊彦さん。最後の演目は能「小鍛冶」でした。「小鍛冶」については以前書きましたので省きます。

 能を見るとき、なかなかその世界に入っていけず、心に触れるものを感じ取れないうちに終わってしまうこともよくあります。この日は大好きな「翁」から始まったからか、終始、舞台上の世界に気持ちがすっと溶け込んで行きました。耳に心地よく響く日本語の言葉、謡とお囃子の音楽、両方のシャワーを全身に浴びた気がしました。

 なぜかときどきお香のかぐわしい香りが舞台から漂ってきました。演者の装束にたきしめられていたのか、鏡の間でお香をたいていてそれが装束や髪に染み込んだのか、よくわかりません。

 今月はあと1回、お能を拝見します。文楽の初春公演は昨日、第2部を見て、後日、第3部を見に行きます。コロナ対策で、今は3部制をとっているのです。1月は古典芸能三昧の月になりそうです。

 

能「葛城(かづらき)」 大和舞 その1(京都観世会館1月例会)

   休憩を挟んで、「葛城」です。あらすじを当日のチラシから紹介します。一部、文言を書き加えたり改行したりしています。

 出羽の羽黒山から来た山伏が大和国葛城山に入り、吹雪に遭う。すると一人の里の女が山伏に声をかけ、(谷底の)庵に案内する。この葛城山の雪の中で集めて束にした木々のことを「しもと」と呼ぶと教え、それを解き、火に炊いてもてなす。

 やがて山伏が後夜の勤めを始めようとすると、女は加持をして自分の苦しみを助けてくれと頼む。明王の策で身を縛められているという。女は、実は葛城の神であり、昔、役行者に命ぜられた岩橋を架けられなかったことを明かして消え失せる。

    中入

 その後山伏は里の者と出会い、昔、役行者が葛城の神に岩橋を架けることを命じたが、神は自分の姿が醜いのを恥じ、夜しか仕事をしなかったため橋が架からず、役行者の怒りを買い、蔦葛で縛められたのだという話を聞く。

 夜、山伏が祈祷していると、その法味に引かれて葛城の神が現れる。策により縛められた身も修法により解け、「高間の原はこれ」ぞと大和舞を舞う。そしてまた「明けぬ先に」と葛城の神は夜が明けぬ先に岩戸の中に消えてゆく(夜が明けると自分の醜い容貌を見られてしまうからです)。

・・・・・・・・ここまで・・・・・・・

 前もってこのあらすじを読んで、なんで神様が人間である役行者に橋を架けることを命令されたり、それをやり遂げられなかったからと罰を受けたりするの? なんで神様が自分の容貌の醜さを恥じたりするの? と疑問だらけでした。「ツタカズラに縛られて苦しむ」なんて、なんだかSMぽいですし。

 元々の伝説では、神は一言主(ひとことぬし)という男性の神様で、醜い容貌を恥じて夜しか仕事をせず役行者に縛られて谷底に落とされたのは同じですが、それを恨みに思って朝廷に「小角は葛城山に兵を集めて天皇を殺す計画を立てている」と訴えたので、小角は伊豆へ流島にされたのだそうです。男神でも容貌の醜さを恥じるところは同じだったらしい。でも、復讐するところが違います。

 ある能楽師さんがブログでこのシテを演じるに当たり、私と同じような疑問を抱いて、どう演じればいいのか悩んでいたところ、先輩の能楽師さんから「能は理屈で考えないで、もっとおおらかに全体をとらえた方がいい」と言われたとか。それを読んで、なるほど、そういうものなのかと考え直して拝見しましたら、とても美しく、音楽的にも心地よくて、幸福感に浸れる曲でした。

 長くなりましたので続きは次の記事に書きます。

 

能「鶴亀」(京都観世会館1月例会)

  「翁」に続いて「鶴亀」が上演されました。題からわかるとおり、祝儀の曲です。あらすじと解説を当日のチラシからお借りします。

 新春、中国の王宮では群臣が皇帝の前に集い、節会が行われる。まず官人が口開きをし、荘重な囃子(真之来序)で皇帝が現れ、玉座に座る。臣下がめでたさを讃えると、鶴と亀が現れ、皇帝に長寿を捧げる。皇帝も御感の余り、自ら舞を舞い、輿に乗って長生殿に還御となる。

 「翁」に続く脇能は、「高砂」のように神が姿を現す曲が多いが、この「鶴亀」は、「西王母」や「東方朔」と同様、大宮の中の皇帝のもとに、鶴と亀とが現れ、祝福を与える形をとる。芸態的に古いものと思われる。

・・・・・・・・・ここまで・・・・・・・・・

 シテ(皇帝)は大江又三郎さん。高齢で大柄の能楽師さんで、威厳が感じられます。シテには珍しく直面(ひためん。面を着けない状態)なのですが、違和感なく拝見できました。鶴(宮本茂樹さん)は黒頭、朱の大口(袴)、小豆色地に草花文様の小袖(かな?装束の名前はまだ正確に知りません)。亀(松野浩行さん)は白頭、白い大口、白地に金?銀かな?で文様を織り出した小袖。面は鶴は若い女性で亀は老女。全体の様子からも鶴は若い女性、亀は老女を表しているようです。二人が相舞する場面はとりわけきれいでした。

 ワキの大臣は福王和幸さん。小顔で長身のイケメンです。この方が登場すると私はいつも「9頭身?10頭身かな?」などと考えてしまいます。装束は白い大口、黒地に金で松竹梅を織り出した直垂?直衣? 大きな袖の縁には赤い紐が通っていて、鮮やかなアクセントになっています。襟元にもちらりと赤い色が見えて、惚れ惚れするほどセンスの良い颯爽とした出で立ちでした。ワキツレ(従臣)のお二人は高齢の方々で二人同じ装束でした。

 囃子方は、「翁」が終わったとき小鼓の脇のお二人が退場されました。太鼓の井上啓介さんは「翁」の間ずっと大鼓のやや後ろで隠れるように控えておられ、演奏がなかったのですが、この曲でお囃子に加わりました。地謡の8人の方々は「翁」では舞台正面、囃子方の奥に並んでいましたが、この曲で常の地謡の座に移動されました。地謡囃子方の奥に並ぶのは「翁」だけの決まりなのです。

 初めて見たこの「鶴亀」、わかりやすい内容で目にも耳にも心地良く、幸せな気分にさせていただきました。

 この後、狂言「筑紫奥」。3人の登場人物(茂山あきらさん、茂山千五郎さん、茂山七五三さん)が正面に並んで大笑いをするラストはまさに「笑う門には福来る」です。私も思わず笑顔になりました。とりわけ茂山七五三さんはそれまでほとんどずっと仏頂面をしている役なので、ここでの笑顔がいっそう引き立って見えました。これ以上はないと思えるほどの満面の笑顔から「福」をいただいた気がします。

 休憩を挟んで能「葛城(かづらき)」です。次の記事に続きます。

能「翁」「鶴亀」「葛城」「小鍛冶」を見ました(京都観世会館)

 10日(日)、今年初めて能を見ました。京都観世会の1月例会です。一番の目的は「翁」を見ることでした。

 この数年はいつも1月4日に大阪の大槻能楽堂で大槻文藏さんの「翁」を拝見してきました。ところが今年は新型コロナの関係で公演が行われなかったのです。

 大槻能楽堂は昨春、コロナが流行り始めた時期に令和2年度(2年の4月から3年の3月末まで)の主催公演をすべて中止すると決めていました。観客がコロナに感染しないように、というのが第一だったでしょうが、東京方面から招く能楽師さんがかなりおられ、高齢の方々でもあり健康が懸念されることも理由として挙げられていました。それに、1年度から始まった大掛かりな改装工事がまだ終わっていなかったのです。

 そんなわけで、今年は「翁」を見られないお正月になるのかなあと寂しく思っていたところ、京都観世会館でこの公演が催されることを知り、チケットを取ったというわけです。

 「翁」は能というより神事に近い芸能です。揚幕の内側で火打石を打つカチカチという音が聞こえたかと思うと、幕の端から手が差し出され、橋掛かりに向けてまた火打石を打ちます。そのとき、火花が散ったのがよく見えました。

  翁の面を入れた箱を恭しく捧げもつ面箱、翁を演じる翁太夫(舞台上で翁の面を着けるまでは直面、ひためんです)が厳かにゆっくりと橋掛りを歩み、舞台に立ちます。千歳(せんざい)、三番三(さんばそう)、囃子方が続きます。

 翁は正先(しょうさき。舞台正面、中央のヘリぎわ)に座り、深々と礼をします。頭につけている冠の先が床に触れるまで頭を垂れるのです。その後、向かって右手のやや奥のあたりの定座に座ります。今回、翁大夫を勤めたのは片山九郎右衛門さんです。

 面箱は茂山虎真さん。初めてお見かけする方でした。見るからにまだ少年。この役を勤めるのは初めてだったかもしれません。緊張しているのが伝わってきました。でも、後の方で三番三とやりとりする場面で朗々と響く声を聞かせてもらいました。千歳は片山峻佑さん。この方も初めて拝見しました。少年と青年の中ほどのお年頃に見えました。三番三は茂山千之丞さんでした。

 九郎右衛門さんの翁には品格と威厳が感じられました。それにこの方の声は独特なのです。少しかすれたような部分と濃密な部分が混ざり合っているような感じ。味わいが深くて私は大好きです。髪が黒々としておられるので、あまり老人には見えませんでしたが…。

 千之丞さんもまだ30代の狂言師です。以前は茂山童司というお名前だったようです。私は前の千作さんや千之丞さんのお顔はよく覚えているのですが、二人とも高齢で亡くなられ、その後、その名前を襲名された方々のことはまだよく知らないのです。この若い千之丞さんの三番三は、庶民的で親近感が感じられました。野村萬斎さんの三番三のような洗練されたかっこよさはないのですが、ご自分の持ち味を生かした三番三なのでしょう。この三番三もいいなあと思いました。

 お囃子も素晴らしくて気持ちが盛り上がりました。小鼓の頭取は林吉兵衛さん。脇は林大和さんと林大輝さん。大鼓は谷口正壽さん(とりわけ良かった)。笛は最近、私がいいなと思っている左鴻泰弘さんでした。

 翁が登場する「翁ワタリ」から退場する「翁ガエリ」までの間、会場のドアは閉ざされ、途中入場はできません。観客席も厳粛な空気に包まれます。

 翁が退場した後、三番三の舞「揉の段」では緊張はややほどけます。続く「鈴の段」では三番三が「黒式尉(こくしきじょう)という面を着けます。翁面は「白式尉」。この二つはいわばセットなのでしょう。黒式尉の面を着けた三番三は人ではなくなるので、鈴を降って種を蒔くような所作や四方を浄めるような所作に「神性」の気配が感じられました。

 今では「翁」を見ないと年が明けたという気分になれなくなっています。今年も年初に質の高い「翁」を拝見することができて、心身を清めていただいた気がしました。ほかの曲については記事を改めます。

 

 

テレビで見た映画「シャーロック・ホームズ最後の事件」

  ホームズものは怖いことも多いので、どうしようかな? と迷いながら録画したこの映画、秀作でした。2016年に公開された作品だそうです。

 ホームズは93歳(!)。引退して30年になります。地方の緑ゆたかな土地で古い館に住み、病を抱えながら養蜂を趣味として暮らしています。記憶力は衰え、歩行もおぼつかない状態。同居しているのは家政婦とその息子です。家政婦は無学文盲ではありますが仕事はきっちりできるしっかり者。10歳の息子は怜悧で、ホームズのお気に入りです。

 30年前、ホームズが引退するきっかけになった事件がありました。相棒のワトソン(すでに亡くなっています)が書いた記録があるのですが、ホームズはそれを「事実と違う」と考えています。ワトソンが自分を傷つけないように書いたのだと。

 ホームズはその事件の全容を自分で書きたいのですが、記憶力の衰えた頭ではなかなか思い出せません。それでも、少年の励ましもあって、1枚の古い写真を手がかりに少しずつ記憶を手繰り寄せて行きます。やがてその事件の全容と結末が明らかに…。一方、家政婦は気難しく世話のしにくいホームズを見限って、遠方に職を求めようと行動し始めます。

 ホームズの90代の今と30年前の回想シーンを行き来しながら物語が進んで行きます。

 ラストでホームズはこれまで貫いて来た自分の生き方は正しかったのかと自問するに至ります。そのきっかけを与えるのは二人の女性です。最晩年になってこんな思いを抱くのはホームズにはとても辛いことでしょうが、見ていてそれほど辛そうには感じられません。その訳は、ネタバレになってしまうので書けませんが…。家政婦がどうしてホームズに対してそっけない態度で接してきたのかも、見終わってからよく理解できました。

 ホームズを演じたのはイアン・マッケラン。ネットで調べたら、「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズでアカデミー賞にノミネートされた俳優さんだそうですが、私はそのシリーズを見ていないので、今まで知らなかった人でした。監督はビル・コンドン。こちらも調べてみると、多数の作品を送り出している人でした。その中で私が見た映画は「シカゴ」(02年、脚本を担当)「ドリーム・ガールズ」(06年、監督)。女性を描くのが上手な人だという気がします。

 一連の「ホームズもの」とはまったく異なる映画でした。老いと向き合うホームズがとても人間的に感じられ、切ないほど共感できました。緑に覆われた風景、古い館、海で遊ぶホームズと少年。30年前の世界(日本を訪れる場面もあります。真田広之が重要な役を演じています)。どれもとても美しい。映画館のスクリーンで見たらどんなにきれいだったろうと思うと、見逃したのが残念です。リバイバル上映があれば、ぜひ映画館で見たい映画です。

 

年始のテレビ番組

 年明けに見たテレビ番組で一番興味深かったのは、1月2日にNHKで放送された「100分de萩尾望都」です。

 萩尾望都の作品は「トーマの心臓」「ポーの一族」「11人いる!」など読んだことがあるのですが、絵の美しさと不思議な雰囲気に心を引かれながらも、意味がよくわからない状態で終わっていました。この番組では熱烈な萩尾ファンの4人の方(山崎マリと夢枕獏、ほかの二人は知らない方でした)がイチオシの作品を解説していきました。テレビドラマで見た「イグアナの娘」が母娘問題を取り上げた先駆的な作品だったなんて知らなかった! 主人公を演じた菅野美穂の顔が「そういえばイグアナに似てるな」と思ったことだけよく覚えている私です。「トーマの心臓」も「ポーの一族」も、私は何にもわかっていなかったということがよくわかりました。

 もう一つはEテレで5日の22時50分から放送された「ヒャダ[E:#x2716]️体育のワンルームミュージック」。音楽プロデューサーのヒャダインとアーティストの岡崎体育がMCを務めています。楽器も弾けずコードも知らず楽譜も読めない若い人たちが自分の部屋でノートパソコン1台だけをツールとして音楽を生み出していく。今、それが音楽の世界で新しい動きになっているようです。実際にその方法で楽曲を作りネットで公開して大ヒットした人たちを取り上げています。MCの二人も「ワンルームミュージック」を実践してきたので、音楽ソフトを使いこなす技を伝授したりもします。

 ヒャダインは、ずっと見ている音楽番組「関ジャム」(テレビ朝日、日曜深夜)に何度も登場している人です。岡崎体育は朝ドラ「まんぷく」でGHQの米兵チャーリーを演じているのを見たとき「あの人はだれ?」と気になって、本業はアーティストと知りました。その頃は京都府宇治市の実家の狭い部屋でごく質素な機材を使って作詞作曲していました。埼玉アリーナでの公演が成功するなど出世(?)して今は東京近辺に住み、幅広く活動しているようです。二人とも関西人なので、話し言葉に親近感を覚えます。

 この番組開始に先立って1月3日に放送された「スタートアップ」編ではアメリカのビリー・アイリッシュという10代の女性アーティストが紹介され、本人からコメントも寄せられていました。この人も自宅で兄と二人で楽曲を作り、昨年、グラミー賞を5部門も受賞したそうです(グラミー賞史上、最年少の受賞者)。インタビューに答えるビリー・アイリッシュの様子がとてもカッコよかった!

 パソコンで気軽に音楽を作ることをD.T.M(デスク・トップ・ミュージック)というのだそう。DTPなら知っていますが、DTMなんて言葉は初めて聞きました。実際にパソコンで音楽を作っていく過程が見られます。私には理解しきれないのですが、それでもなんだか面白いのです。

 音楽系の番組が好きで「らららクラシック」や「駅ピアノ」も見ていますが、また一つ、毎週録画して見たい番組が増えました。

 

 

片岡松十郎さん出演の動画です

「晴(そら)の会トークイベント」 ダイジェスト版の動画。メンバー8人の自己紹介です。松十郎さんはトリです。

舞踊「八島」 のお稽古とリハーサルの動画。リハーサル時の黒紋付・袴姿が凛々しい。

松十郎さん、この時は既に減量成功後だったのか、お顔は「おちょやん」出演のときと変わりません。

片岡松十郎さん情報

 朝ドラ「おちょやん」で注目を集めた片岡松十郎さんについての情報です。

 年齢は45歳。身長は176cmと長身です。朝ドラ出演の話を聞いたのは2019年12月。それまで朝ドラを見たことがなかったので、「スカーレット」と「エール」をずっと見て、「朝ドラって面白い」「役者さんがみんなうまい」と感じたそうです。

 病気を抱えている役なので体重を減らしたほうがいいと思い、好きなお酒を毎日350mlの缶ビール1本だけにし、夜中に毎日4.5km走って、10キロ弱、減量したんですって。ということは、普段はもっとふっくらしているのかな。

 上方歌舞伎塾1期生の3人(松十郎さん、千次郎さん、千壽さん)で2015年、「晴(そら)の会」を立ち上げ、片岡秀太郎さん(人間国宝)の監修で年に1回、公演を行なっています。今年も8月に公演があったようです。

 「おちょやん」出演以来、ネットで評判になっていることはご本人はちっとも知らないのだそう。携帯もガラケーを使っているほどで、SNSには全く興味がなくて、見る機会がないのだそうです。

 篠原涼子の相手役をすると聞いたときには仰天して「僕でいいのか」と思ったとのこと。そりゃあそうでしょうね。でも、お似合いのカップルに見えましたよね。

 

朝ドラ「おちょやん」

 放送が始まった朝ドラの「おちょやん」。最初の方は子役のうまさに舌を巻きつつ、主人公を取り巻く環境が悲惨すぎて見ているのが辛くなり、とびとびにしか見ませんでした。主役が杉咲花に変わってからは、安心して面白く見ています。

 歌舞伎「夏祭浪花鑑」の「長町裏の場」、通称「泥場」が演じられたシーンにはワクワクしました。劇中劇の主役の団七九郎兵衛を演じる役者(早川延四郎)が篠原涼子演じる芝居茶屋の女将の元カレだったという設定でした。片岡仁左衛門さんが監修をなさっているし、この役者役の方が「片岡松十郎」というお名前だったので、今まで知らなかったお名前ですが、きっと片岡家一門の脇で活躍している方なんだろうなと想像していました。なかなかの二枚目だし、演技もしっかりしています。団七に殺される舅・義平次役は片岡千次郎さんで、この方のお名前は知っていました。

 調べてみると、二人とも松竹が開いた「上方歌舞伎塾」の1期生なのだそう。上方歌舞伎塾卒業生の中心メンバーとして公演もなさっているようです。この朝ドラで一気に知名度が上がったので、これから活躍の場が広がるかもしれません。

 芝居小屋のセットは兵庫県出石市にある「永楽館」そっくりに建てられていたそうです。永楽館といえば片岡愛之助が今ほど有名でない頃、毎年「永楽館歌舞伎」を上演していた会場で、私も一度、観劇に行ったことがあります。あの公演は今も続いているのかなあ。

 主役の杉咲花は10代の頃から活躍している俳優さんです。演技力はピカイチ。「夜行観覧車」(TBS、2013年)で家庭内暴力に荒れ狂う中学生を演じたのが強く印象に残っています。母親役は鈴木京香でした。

 篠原涼子はしばらく見ないうちに少し太ったので、女将さん役にぴったりなのですが、台詞回しが一本調子で前より演技が下手になったように思えます。方言の習得に苦戦しているのかな? と想像したりしています。父親役のトータス松本、ここまで救いようのないアル中のダメおやじを上手に演じてしまって、人気に影響が出ないだろうかと他人事ながら心配になってしまいます。

 義母役を演じていた宮澤エマは、元総理・宮沢喜一の孫なんだそうです。これまでミュージカルで活躍していて、ドラマ出演はほとんど初めてなのに、憎まれ役を巧みに演じて、今後演じる役どころに良くない影響が出ないだろうか? と、あるブロガーさんが気にしていました。

 脚本は八津弘幸池井戸潤原作のドラマをいくつも手がけてきたヒットメーカーですから、面白くならないはずがありません。最近は朝ドラ離れしていた私ですが、今回のドラマは目が離せなくなりそうです。

『寝る前に読む一句、二句 〜クスリと笑える、17音の物語』(ワニブックス)

 しばらく更新をサボっていたら、広告が増えて驚いています。読者の方のパソコンやスマホの画面から見ても、広告が増えているのでしょうか。広告なしのプラン(有料)に変えようと思ったりもしたのですが、調べてみると一番安い有料プランでは、パソコンで見るときは広告が入らないけど、スマホだと表示されるのだそうです。それじゃあ半分しか意味がないような気がして、思案中です。

 それはさておき。1週間ほど前、何気なく本棚を眺めていて、表題の本を見つけたのです。いつ買ったのか、まったく記憶がない! 近頃はこんなことがよくあるので、あまり動揺しないことにして、読み始めると、これがとびっきり面白いのです。

 著者は、テレビの「プレバト!」でおなじみの俳人、夏井いつきさんと、妹のローゼン千津さん。ツーショット写真が載っているのですが、顔はちっとも似ていません。でも、個性的でかなり変わっているところは「この姉にしてこの妹あり」です。

 夏井いつきさんにローゼン千津さんという妹さんがおられることは、この本で初めて知りました。プロフィールの部分を紹介します。

 愛媛県生まれ。大阪芸術大学舞台芸術科卒業。いつき組(注:夏井いつきさんが「組長」として主宰している俳句集団)俳人。平成元年、黒田杏子(ももこ)先生の藍生(あおい)俳句会に入門し、俳句を始める。ニューヨークで十年余り育児を楽しみ、平成23年帰国後、姉いつきの紹介で、「俳句を作りながら俳都松山を歩く」ガイドになる。55歳の誕生日に、英語と日本語の句集『55』を上梓。現在、アメリカ人チェリストの夫ニックと山中湖村在住、演奏旅行の付人として世界を回っている。

 これを読んだだけでもそうとう個性的で「変わった」人物像が想像できます。そして姉妹ともに、子ども二人を抱えての熟年再婚経験者なのだそうです。

 この二人が30の俳句を選び、それぞれについて対談する、というのがこの本の内容です。句については、わかりやすい解説がついているので、俳句初心者でも楽しめます。私がとりわけ印象に残った句は

  サルビアを咲かせ老後の無計画   菖蒲あや

  親芋の小芋にさとす章魚(たこ)のこと  フクスケ

  来ればすぐ帰る話やつりしのぶ   西村和子

  北窓開くお前とは別れたい     如月真菜

  犬入院猫退院の月夜かな      波多野爽波

  それは少し無理空蝉に入るのは   正木ゆう子

などです。句の後の対談は抱腹絶倒だったり、しみじみと深かったり。二人の子どもの頃からの性格や生きてきた道筋が散りばめられて興味深く、句から広がっていく世界はとてもユニークで、読んでいてウキウキしました。

 カルチャーセンターの初心者向け俳句講座をやめてから、俳句は一句も詠めていない私ですが、久しぶりに「やっぱり俳句っていいなあ」「また俳句を詠みたいなあ」という気持ちが沸き起こってきました。

 

能「唐船」を見ました(京都観世会館) 続き

 シテ、つまり主人公が日本人ではなく、捕虜として捕らえられ日本で働かされている外国人という設定がとても珍しいです。こんな例をほかには知りません。とはいえ、描かれている祖慶官人と子どもたちの気持ちや、箱崎の某が親子の情愛に心を動かされる結末には普遍性を感じました。

  この「唐船」は上演回数の少ない曲です。子方(子どもが扮する役)が4人そろわないと上演できず、4人そろうというのがなかなか難しいからだそうです。

 今回の子方は唐子(年長の子どもたち)を味方玄さんの二人のお嬢さんが、日本子を玄さんの弟で同じくシテ方能楽師の味方團(まどか)さんの二人の息子さんが演じられました。皆さん、堂々としていて、よく通るきれいな声なので感心しました。玄さんと團さん兄弟もこの曲の子方を演じた経験があるのだそうです。

 ほかに、すぐ目につく特徴は、船を表す大きな作り物が出ることです。船の形をした大きな枠で、船頭役の狂言方が運びます。帆柱も備えていて、二度ほど帆を上げました。終盤、この船の舳先に祖慶官人が立ち、その後ろに日本子二人、さらに後ろに唐子二人が並んで座っているありさまは壮観と言っていいほどでした。唐子の影に隠れて見えませんが、最後尾には船頭もいます。

 「唐土(もろこし)」というのは歴史上の「唐」を指すのではなくて、漠然と近隣の外国という意味のようです。朝鮮半島や大陸からやってきた人々が日本の(主に九州北部の)海岸を荒らしたり、逆に日本の倭寇(わこう)が大陸の海岸を荒らしたりしていた実情が反映しているようです。

 初めは日本子の帰国を許さなかった箱崎の某が親子の悲しみにくれる様子を見て心を動かされ、最後には許しを与えます。祖慶官人が望みを叶えて子どもたち4人と祖国へ帰っていくというハッピーエンドなので、めでたい曲です。ただ、ふと日本の妻はどうなったんだろう? と思ってしまいました。

 船頭役の狂言方が中国語っぽい奇妙な言葉を話すのも気になりました。中国語の特徴を強調してそれらしく聞かせるような言葉で、おかしみがあってつい笑ってしまうのですが、中国人の方が聞いたら不愉快だろうなと想像しました。

 この日、シテの祖慶官人が登場する前の間合いが長くて、「どうしたんだろう? 何かあったのかな?」と訝しく思いました。考えてみると、ここはお囃子が入って、それをきっかけとしてシテが揚幕から出てくるはずなのに、お囃子が始まらなかったのです。お囃子の皮切りは笛で、杉市和さんです。演奏を忘れるなんて考えられません。

 ところがようやくお囃子が始まってシテが登場した後、地頭の片山九郎右衛門さんが切戸口から出て行き、しばらくして戻ってこられたのです。地謡が途中で退座するというのも珍しいことです。そのあと、市和さんの子息、信太朗さんが切戸口から出てきて市和さんの後ろに座られました。この一連の様子から私は「杉市和さん、体調が悪いのでは?」と考えました。でも結局、市和さんは最後まで舞台を勤められ、何もなかったように退場されました。何が起きたのかはわからずじまいです。

能「唐船」を見ました(京都観世会館)

   7日(土)に京都観世会館で能「唐船」を見ました。シテ方能楽師、味方玄(しずか)さんが主宰する「テアトル・ノウ」の公演です。

 内容は一風、変わっていました。以下、あらすじを当日のチラシから引用します。

 日本と唐土との船の争いがあり、唐土の祖慶官人(そけいかんにん)は日本の箱崎の何某(ワキ)に捕らわれの身となり、はや13年になる。数々の牛馬を追う下働きをさせられ、今日も日本で生まれた子どもたち(日本子。年下の子方)と共に、鞭、縄を持って帰路についている。

 帆船に数々の宝物を積み、唐子(年上の子方)がはるばる日本に渡ってくる。祖慶官人が唐で生き別れた子のソンシ・ソイウ兄弟である。父・祖慶官人がまだ日本で行きているならば、宝物と引き換えに父を船に乗せて連れて帰ろうというのだ。

 箱崎の何某と対面した二人は父が存命の由をきく。なんでも仏詣のため外出しているという(箱崎の武士の情けか、牛馬を追わせているとは明かさない)。やがて帰った祖慶官人は箱崎から、唐子たちとの対面を許され、喜びの再会となる。折しも追い風が吹き、唐子たちは父に帰国を促す。祖慶官人と唐子たちに続き日本子たちも乗船しようとすると、箱崎は「日本で生まれた者ゆえ、この後も召し使う」と許さない。帰ろうとする唐子、引き留める日本子、中にはさまれて進退きわまった祖慶官人は、巌に上がり身投げしようとする。四人の子どもたちは左右から取りすがり涙を流すと、祖慶官人も力なく倒れ泣き伏してしまう。

 さすがにあわれに感じた箱崎は日本子にも乗船を許す。夢かとばかり喜ぶ祖慶官人は四人の子を伴って船に乗り、楽を奏で喜びの舞を舞う。船子が揚げた帆に風をいっぱいに受けた唐船は、まっすぐな航跡を残し唐土に向かうのであった。

・・・・・・・・・・ここまで・・・・・・・

 

 シテの祖慶官人は味方玄さん、ワキの箱崎の何某は福王知登さん。日本子(年齢の大きい子どもたち)を味方玄さんの娘さん二人、唐子(年齢の幼い子どもたち)を味方玄さんの甥っ子さんたちが勤めました。囃子方は大鼓・河村大、小鼓・吉阪一郎、太鼓・前川光長、笛・杉市和の皆さん。地頭は片山九郎右衛門さんでした。

 長くなりましたので、感想は次の記事に書きます。