冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

能「道成寺」ほか(「第五回記念 杉信の会」、京都観世会館)…その4

 こんな調子で演目を順番に紹介していたのではなかなか「道成寺」にたどり着かないので、3番目の「猩々乱」から6番目の「鷺」までは省略します。どれも「すごいものを見せてもらった」「聴かせてもらった」と感動の残るものばかりでした。

 ただ、「末広かり」(末広がり、つまり扇のことです)で果報者を演じた茂山七五三(しめ)さん(先ごろ人間国宝に認定されました)と「鷺」で笛を吹いた杉市和さん(杉信さんのお父さん)のお二人が、なぜか元気がないように見えて、体調が良くないのかなと気になりました。

 というわけで、やっと「道成寺」です。

 「道成寺」はたくさんある能の曲の中でも扱いの重い作品で、若手の能楽師さんが「道成寺」のように能楽師修行の節目になる曲を演じることを「披く(ひらく)」と言います。一人前の能楽師になるための関門のようなものなのです。シテ方に限らず、囃子方能楽師さんの場合でもこう言うみたいです。この日のシテ、片山九郎右衛門さんはベテランなので、数えきれないほど演じてきておられるのでしょう。杉信さんはというと、「道成寺」の笛は35回目だそうです。

 あらすじを当日配られたパンフレットからお借りします。

 紀州道成寺では、春爛漫のある日、再興した釣り鐘の供養が行われていました。従僧(ワキ)は訳あって女性が来ても通してはならぬとお触れを出しますが、白拍子(前シテ)が鐘の供養に舞を舞わせてほしいと能力(アイ)に頼みこみ供養の場に入り込みます。白拍子は独特の拍子を踏み、舞いながら鐘に近づき、ついに鐘を落としてその中に入ってしまいます。

 事の次第を聞いた従僧は道成寺にまつわる恐ろしい物語を語り始めます。昔、ある女から逃げてきた男を鐘の中に匿ったところ、その裏切られた女が執心のあまり蛇体と化し鐘に隠れた男を恨みの炎で鐘もろとも焼き殺してしまったというものでした。

 女の執念がいまだにあることを知った従僧たちは祈祷し鐘を引き上げますが、鐘の中から蛇体に変身した白拍子(後シテ)が現れ鐘を焼こうとします。従僧の祈祷と女の執心で激しい攻防が繰り広げられますが、最後はその炎で蛇体は我が身を焼き日高川の底深く姿を消していくのでした。

・・・・・・・・・ここまで

 「安珍清姫」という古い物語をご存知の方も多いかと思います。「道成寺」は、その後日談なのです。

 囃子方地謡の8人が座につくと、狂言方の方々が鐘を運び出し、舞台の上手寄り、やや奥に寄ったあたりに釣ります。鐘の表面は濃い紫色の布で覆われていました。能舞台の天井にはこの鐘を釣るための杭のようなものが初めから設置されています。

 鐘を吊るした縄は舞台上手の奥で鐘後見の方々が、これも柱に最初から付いている金具に通して、動かないようにセットします。鐘後見の役には後でシテの上に鐘を落とすという大役があるので、ベテランの能楽師さんたちが担います。

 あらすじに「独特の拍子」と書かれているのは「乱拍子」のことです。「道成寺」といえば乱拍子を思い浮かべるほど、特徴のある舞で、私も映像以外で見るのはこの日が初めてなので興味しんしんでした。

 乱拍子とは? the能.comのサイトによると、

能の舞事のひとつ。能「道成寺」のシテ白拍子(しらびょうし)が特殊な足遣いで舞う舞のこと。恨みの籠った鐘を目指して寺の石を一登る様子を表わしているともいわれる。裂帛(れっぱく、絹を引き裂くような鋭い悲鳴)の気合と静寂がない交ぜになった独特な譜を小鼓のみで奏し、笛があしらう。中世の芸能にあった拍子を能が取り入れたものといわれ、金春が「道成寺」、観世が「檜垣(ひがき)」、宝生が「草紙洗小町(そうしあらいこまち)」、金剛が「住吉詣(すみよしもうで)」(喜多は「横笛」という)で拍子を専有していたとされるが、後に各流儀とも「道成寺」で舞うようになり現在に至っている。

 

 元は中世の芸能にあったものを能が取り入れて、今は「道成寺」だけに残っている、ということのようです。実際の様子は次の動画を見てください。

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 「乱拍子」という言葉からは激しい舞をイメージしますが、静止している時間が長く、シテの体の動きのほとんどは爪先を上げる、かがとを上げる、腰を折るなどわずかです。けれど、小鼓との掛け合いの緊張感は凄まじいほどで、一瞬も目が離せない気分になります。その時間は、当日のパンフレットによると「朝ドラ約1・5話分」なのだそうです。

 この後、今度は本当に動きの激しい「急之舞」になり、シテが鐘に飛び込む「鐘入り」に続きます。シテが鐘の真下で跳躍するのと同時に鐘後見が鐘を落とします。このタイミングが絶妙でした。ここがうまく合わないと劇的効果が下がるだけでなく、鐘は重いのでシテを演じている能楽師さんが大怪我しかねないのだそうです。

 鐘の中でシテは一人で大蛇を表す装束に替え、面を着け替えます。ワキの従僧たちの祈祷で鐘が釣り上げられ、後シテが姿を現します。

 次の動画の45秒あたりから見てください。

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 初めて見た「道成寺」はとても面白くて、興奮してしまいました。

 歌舞伎がこの作品を元にしてエンターテインメントとして味付けを加えたのが「京鹿子(きょうかのこ)娘道成寺」。白拍子が踊りながら何度も衣装を替える、豪華な舞踊です。その上、白拍子が二人になったり、

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 五人になったり。

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 華やかすぎてもう訳がわかりません。

 人形浄瑠璃文楽では「日高川入相花王(いりあいさくら)」という演目になっていますが、内容は後日談ではなくて「安珍清姫」そのものです。

 なぜこの女性は蛇に変身するのかというと、生身(なまみ)の女性のままでは社会的にも身体の面からも男性に太刀打ちできないからだ、という説明をどこかで聞きました。

 「第五回杉信の会」、最初から最後まで充実した内容で素晴らしかったです。杉信太朗さんの笛がたっぷり聴けたのが何よりでした。

 「道成寺」は、11月にもう一度、今度は大槻能楽堂で見る予定です。  

 

能「道成寺」ほか(「第五回記念 杉信の会」、京都観世会館)…その3

 上演に先立って、杉信さんが観客へのお願いをアナウンス。揚げ幕の端からちらっと姿が見えたので、その場所から話されたみたいです。飲食禁止、撮影・録音の禁止、スマホの電源を切ってください、でも曲が終わった後の拍手はどうぞ盛大にお願いします、といった内容でした。「拍手」については、能の場合は拍手をしないのが本来の観客のマナーだという考え方をする人もいるので、わざわざ付け加えたのだと思います。

 さらに、「今日は海外からのお客様も多いようですので、英語でもお知らせしておきます」。そう言って、「No eat and no drink」などアナウンスするのですが、その英語のひどさときたら! たどたどしいにも程があると思うほどへたくそな英語だったので、場内は大笑い。その笑いに杉信さんへの親近感なのか応援の気持ちなのか、愛情のような温かさが感じられました。この人はキャラそのものが愛されているようです。

 さて、いよいよ上演です。お祝いの意味のあるめでたい曲が並んでいます。まず「三番叟」。お正月などによく上演される「翁」という曲の中で狂言方が舞う部分です。今回は京舞井上流の井上安寿子さんが能の三番叟を元に創作した舞を披露されました。後見は弟さんの観世淳夫さん、笛は杉信さんです。

 能の「三番叟」は何度も見ていますが、舞台と場の全体を清めたり祝福したりする意味合いが強く感じられる曲です。井上安寿子さんの舞は舞台全体を支配するような力強い表現力で見事でした。「烏(からす)飛び」という、ジャンプを3度繰り返す場面もちゃんとあって、着物を着て高い跳躍をこなすのにはびっくりしました。杉信さんの笛には体の奥から滲み出るリズム感の良さを感じました。

 続いて「ごあいさつ」。杉信さんが舞台に登場し、開場前のアナウンスをもう一度繰り返します。英語の部分は、「先ほどはちゃんと伝わらかなかったかもしれませんので」と、白いボードに書いたものを掲げてそれを読みました。それがまた、相変わらずのとびきり下手な英語なので、またもや観客は大笑いです。

 自己紹介。杉信太朗さんは6歳で初舞台を踏んで今年が25周年の年に当たるのだそうです。それで今回は「第五回記念」と銘打った公演になっているようです。今年37歳。その若さですでに25年のキャリアというのもすごいし、自身の名前を冠した自主公演を豪華な顔ぶれで5回も重ねているのもすごいことです。

 ご本人は「能の世界では洟(はな)垂れ小僧」と言っていました。伝統芸能の世界では事実そうなのでしょう。

 途中で、井上安寿子さんを呼び出しての対談。若いお二人の会話は初々しくて、心が和みます。会場は能の公演とは思えないくらい、リラックスした雰囲気に包まれました。

  

能「道成寺」ほか(「第五回記念 杉信の会」、京都観世会館)…その2

「第五回記念杉信の会」の曲目と出演者

1、三番叟(さんばそう) 京舞(創作) 舞 井上安寿子 後見 観世淳夫 笛 杉信太朗

2、ごあいさつ

3、舞囃子猩猩乱(しょうじょうみだれ)」 猩々 観世淳夫、林宗一郎

   大鼓 谷口正壽、小鼓 林吉兵衛、太鼓 小寺真佐人、笛 左鴻泰弘(杉信さんの兄弟子)

   地謡 井上裕久 ほか   

4、居囃子「石橋(しゃっきょう)」

   大鼓 河村凛太郎、小鼓 吉阪一郎、太鼓 小寺真佐人、笛 杉信太朗

   地謡 深野貴彦、味方 玄、浦田保浩、田茂井廣道

5、狂言「末広かり」 茂山七五三、茂山千五郎茂山忠三郎

   大鼓 河村 大、小鼓 成田 奏、太鼓 小寺真佐人、笛 杉信太朗

6、一調一管「鷺」 謡 金剛龍謹  太鼓 前川光長、笛 杉 市和

        (休 憩)

7、能「道成寺

   白拍子、蛇体 片山九郎右衛門  道成寺従僧 宝生欣哉 ほか

   アイ 能力 茂山逸平、茂山 茂

   大鼓 亀井洋佑、小鼓 曽和鼓堂、太鼓 前川光範、笛 杉信太朗

   地謡 浦田保親ほか

   鐘後見 味方玄ほか

   狂言後見 茂山千五郎ほか

 

 京都観世会のリーダーで関西の観世流の中心人物でもある片山九郎右衛門さんをはじめ、京都観世会の主な能楽師さんたちが顔をそろえています。ゲストの井上安寿子(やすこ)さんは京舞の家元で人間国宝の井上八千代さんの娘さん。もう一人のゲストの金剛龍謹さんは金剛流の若宗家です。

 当日配られたパンフレットに第一回からのプログラムと出演者名が載っていたので見ますと、最初から片山九郎右衛門さんが地頭(地謡のリーダー)として出演していますし、銕(てつ)仙会から観世銕之丞さんが後見として加わっています。銕仙会は観世銕之丞さんが率いる団体で、東京で活動しています。そればかりか、小鼓の大倉源次郎さん(人間国宝)、大鼓の亀井広忠さん、狂言方山本東次郎さん(人間国宝)、野村萬斎さんという錚々たる顔ぶれが第一回から四回まで出演しているのです。

 京都観世会だけでなく東京を活動拠点としている有力な方々も出演されているところに、能楽界が杉信太朗さんという実力と人気を兼ね備えて人柄も良い笛方さんを全面的にバックアップしようとしている姿勢が強く感じられました。

 観世銕之丞さんと井上八千代さんはご夫婦で、井上安寿子さん、観世淳夫さんはその子ども、片山九郎右衛門さんは井上八千代さんの弟。今回、井上安寿子さんと観世淳夫さんが出演しているのは、そんな関係もあるのでしょう。

 ここまで主にシテ方能楽師さんについて書いてきましたが、囃子方の顔ぶれも多くは若手から中堅までの実力者ばかり。こんな公演はめったにありません。行く前からワクワクしていました。

 前置きばかり長くなってしまいました。公演の感想は次に書きます。

 

 

能「道成寺」ほか(「第五回記念 杉信の会」、京都観世会館)…その1

 白馬から帰った翌々日の7月30日(日)、京都観世会館へ。「第五回記念 杉信(すぎしん)の会」を見に行きました。「杉信」というのは笛方(笛を吹くことを専門にしている能楽師さん)の杉信太朗さんのニックネームです。

 初めて杉信太朗さんの笛を聴いたのがいつだったのかは思い出せないのですが、「この人の笛はすごい!」と思ったのは今から4年ほど前のことでした。過去記事を調べてみると、2019年1月15日の記事に、

 「音色が驚くほど濃密で滑らかで気迫に満ちていました。この方の笛は今までにも聴いたことがあるはずなのに、この日初めて聴いたような驚きに打たれました。将来が楽しみです。」

と記しています。もともと信太朗さんの父君、杉市和さんの笛が大好きだったので、「お父さんの笛も素晴らしいけど、息子さんもまだ若いのにとんでもない才能の持ち主だ」と感じていました。その後ネットで調べたら、信太朗さんのファンは多く、「スギシン」という愛称で親しまれていることがわかりました。

 「杉信の会」という公演が開かれていることも以前から知っていましたが、ほかの予定(たいていは山行)と重なったりして、ずっと行けずにいました。(追記;後で気づいたのですが、第一回から第四回までは東京での公演でした。)

 今回は「道成寺」が上演されると知って、ぜひ行きたいと思いました。「道成寺」は能の大曲の一つで、なかなか上演されないのです。

 公演情報を入手した時期が遅くて、前売り開始日のずっと後だったので、「もうチケット売り切れてるかも」と諦めの境地だったのですが、ダメもとで「杉信太朗事務局」にメールを送って申し込んでみたら、2階席なら残っているとのこと。そして1階席にキャンセルが出たら、そちらに変更してもらえるとのことでした。とりあえず2階席を予約したら、その後、連絡が来て、1階席の予約をとることができました。後ろの方ではありますが、正面だし、補助席じゃないし、本当にラッキーでした。

 この公演、杉信さんの個人的人気のほかにも、チケットが入手困難になる理由がありました。能楽師さんの顔ぶれが極めて豪華なのです。次の記事に続きます。

 

能の「作り物」

 前の記事でちょっと触れた、能の「作り物」についてはこちらをご覧ください。

作り物|面と装束|ユネスコ無形文化遺産 能楽への誘い

 

こちらも参考になります。

the-noh.com

 後半で触れられている「道成寺」を30日(日)に京都観世会館で見ました。次の記事に書きます。

大槻能楽堂でろうそく能「半蔀(はじとみ)」

 7月に2度、能を見ました。順番に書いていきます。

 7月14日(金)の夕方、大槻能楽堂へ。毎年7月に行われている「ナイトシアター ろうそく能」を見るためです。

 まず点灯式。照明が消されて、舞台を囲むように置かれた和ろうそくに火が灯されます。場内が神秘的な雰囲気に包まれました。

 2年前の「ろうそく能」で撮った写真です。

 

 今年の曲は「半蔀(はしとみ。観世流でははじとみ)」。「立花(りっか)供養」という小書(こがき。特殊演出のこと)が付いています。この小書が付くと、ワキ僧が登場する前に、舞台正面に実物の立花(花をいけたもの)が出されます。今回は華道家池坊の次期家元、池坊専好さん(女性)が二人の弟子(男性)を助手にして、観客の目の前で花を生けました。立派な松を中心に、赤い花が印象的な、スケールの大きい花でした。

 落語家の桂吉坊さんの司会で池坊さんと大槻文藏さんが対談。池坊は日本のいけばなを創始した、いけばなという伝統文化のルーツなので、「池坊流」とは言わないらしいです。家元は京都の六角堂(紫雲山頂法寺)の住職でもあるのだそう。「立花」は池坊でも一番古い様式の花のいけ方だということでした。

 休憩を挟んでいよいよ公演が始まります。「半蔀」のあらすじを当日配られたチラシからお借りします。

 紫野・雲林院の僧が、夏の修行の終わりに仏前に供えた花々に感謝を込めて立花供養をしていると、どこからともなく女が現れて一輪の白い花を供えた。女は、その花は夕顔で、自分は五条辺りに住んでいた者だと言うや立花の影に消える。

 僧は、女が『源氏物語』の「夕顔の女」だと思いあたり、出向いて弔うことにする。はたして、夕顔の蔓の這い伝う家で、女は秋の訪れた寂しい夕景色を眺めていたが、半蔀を押し上げて姿を見せ、光源氏との束の間の恋の思い出を語り、追憶に浸りつつ舞う。

 寝殿造などの上下二枚からなる戸を蔀(しとみ)といい、半蔀は上部を外へはね上げて開くようにしたもの。半蔀の向こうから現れたのは光源氏の愛した夕顔の女か花の精か。

・・・・・・・・・・ここまで

 

 僧が「立花供養」、つまり花を供養しているところに女が現れて、夕顔の花を供える。ということは、夕顔の花も一緒に供養してくださいという意味なのでしょう。僧はその女が「源氏物語」の「夕顔の女」だと気づき、女を供養します。供養の対象が花から女に変化しています。

 なんで? と思ってしまいますが、舞台を見ているうちに、この女性は本当に「夕顔の女」なのか、それとも夕顔の花の精なのか、わからなくなるのです。私の印象では、夕闇にほのかに浮かび上がる白い花のイメージが濃厚で、花の精だと感じられました。

 シテを演じたのは友枝昭世さん。シテ方五流の一つ、喜多流の実質的な家元で、人間国宝です。大槻文藏さんもそうですが、ゴツゴツした骨格の男性がどうしてあんなたおやかな美しい女性を演じることができるのか、いまだに不思議でなりません。能を見ているときは男性だなんてみじんも思えないです。歌舞伎の女方とも違います。

 ワキの僧は宝生欣哉さん。公演後しばらくしてから、人間国宝に選ばれたというニュースを見ました。

 半蔀は作り物で表現されます。能の作り物というのは一般の演劇で言うと大道具のようなものですが、至って簡素な手作りです。若手の能楽師さんが公演前に短時間で作るのだそう。それでも一応今回は半蔀の形はしていて(もっと象徴的な表現しかしない場合も多いのです)、橋がかりに置かれた半蔀からシテが本舞台に向かって出てくる部分では、リアルな表現ではないだけに、幻想的な、夢を見ているような気持ちになりました。

 謡は、シテと地謡の掛け合いのような部分が聴いていて心地良かった。「源氏物語」というフィクションの中の登場人物を、まるで実在の人物みたいに扱っているところに不思議な味わいがあり、「半蔀」という曲が好きになりました。

 謡を習っている講座では、「半蔀」は初級の26番目にお稽古することになっています。今は4番目の「富士太鼓」の最初の部分をお稽古中。26番目なんてまだまだ先のことで、そこまでたどり着けるかどうか心もとないです。

 

白馬岳 つづき

 翌朝、4時半ごろ山小屋の裏に出てご来光を待ちました。

 見事なご来光でした。

 

 朝日を受けてバラ色に染まった山嶺。モルゲン・ロートと呼ばれます。

 

 朝食後、6時半に出発です。昨日も登った山頂へ。快晴で、白馬三山や後立山、槍が岳、穂高までくっきりと見えます。

 

 赤い屋根の建物は昨日泊まった白馬山荘。山の向こうに海が見えます。

 昨日の午後、バス会社に電話するのを忘れていたことに気づき、山頂から電話してみました。ストックはあったとの返事。着払いの宅急便で私の自宅へ送ってもらうようにお願いしました。よかった! ちょっと心が軽くなりました。

 急な下りを歩いて、8時ころ三国堺の分岐に到着。早朝は涼しくて快適でしたが、この頃には日差しが強くなり、昨日と変わらない暑さです。

 アップダウンを繰り返して、9時ごろ小蓮華山に着きました。



 ここからはほぼ下りで、白馬大池を目指します。午前中は晴天が続きましたが、だんだん雲が出てきました。

 

 

 

 この間も高山植物がいっぱい咲いていました。名前は省きます。

 

 

 

 

 

 



 11時半ごろ、白馬大池に到着。40分くらいかけてお昼休憩を取りました。その後はおよそ3時間、歩きにくい道を下って、3時半ごろようやくゴールの蓮華温泉ロッジに着きました。1650mを下って、暑いし膝はガクガクするしで、疲れきってしまいました。温泉に浸かってビールを飲んで早く寝ました。

 最終日はバスで糸魚川へ、電車で金沢へ。駅に直結したビルのお店でお昼ご飯。海鮮丼の特盛(ご飯は少なめ)が1350円! 魚が新鮮でめちゃくちゃ美味しかった! 山小屋の食事は質素だったし、昼ごはんはパンなどで済ませていたので、久しぶりに美味しいものを食べた気がしました。

 今回の山歩きは暑さとのたたかいで、体力のない私にはきつかったです。それでも山の絶景やたくさんの花々を楽しめたし、何よりも怪我なく無事に帰ってこられたのがよかった。だけど、来年からもこの異様な暑さが続いたら、高山植物雷鳥も絶滅してしまうんじゃないかと、それが気になっています。

 

 

白馬岳に登りました

 その後、もう1回追加で摩耶山へ8kgのザックをかついでトレーニング山行をしました。コースは新神戸→天狗道→摩耶山掬星台→杣谷(そまたに)→阪急六甲です。

 25日(火)からがいよいよ本番です。リーダーのゆこりんさん、健脚のHさんと3人で朝10時前に新大阪駅を出発して、白馬の駅に着いたのは午後4時ごろ。信州まで来れば涼しいだろうと思っていたのに、とんでもなく暑くてびっくりでした。この日は駅から近い民宿に一泊しました。

 26日(水)、白馬駅を朝5時50分に出るバスに乗って、登山口のある猿倉へ。大雪渓を登るのに必要なヘルメットとストックをすぐ出せるように用意。と思ったら、なんと、ストックがないのです! 大雪渓を登る時は両手にストックを持つといいと聞いていたので、袋に入れてザックの外側のポケットに入れ、2カ所のベルトでしっかり固定しておいたのに。キツネにつままれたようです。

 「バスで落としたんじゃない? 袋の材質が滑りやすいから、スルッと抜けて落ちることがあるよ」とゆこりんさん。すぐバス会社に電話してくれましたが、そのバスがまだ運行中なので午後にかけ直してくださいとのこと。困りきった私にHさんがためらいもなく「私のを貸してあげますよ」。持ってきたけど自分はたぶん使わないから、と言うのです。ありがたく貸してもらうことにしました。

 準備を整えて山道を登っていきます。朝だけど、もう暑い。真っ青な青空に白馬の山々が映えています。

 

 1時間ほどで白馬尻に到着。

大雪渓が見えます。

 

 30分ほど歩くと、雪渓が始まる所へ来ました。ここでヘルメットとアイゼンを装着します。雪渓にはガスがかかっていました。

 雪の上はひんやり。陽がさしていないし、ときどき冷風も吹くので、雨具の上だけを着ます。大雪渓は勾配がかなりきついのですが、アイゼンを着けていると歩きやすかったです。

 「大雪渓を2時間ほどかけて登る」と聞いていたのに、1時間くらいで終わってしまいました。暑さで雪が溶けたらしいです。アイゼンを外して、ガレキの急登を歩きます。晴れてきて、景色はいいけれど、雪がなくなった場所はめちゃくちゃ暑い。夏用の長袖Tシャツと半袖Tシャツの重ね着をしていて、汗みどろになりました。朝食が早かったので、途中で昼ご飯を食べました。昨日買ったパンなどの簡単なものです。

 暑さと急登が続いて疲れ果てましたが、高山植物が心を癒してくれました。

 キヌガサソウ

 タマガワホトトギス

 ミヤマキンポウゲのお花畑。

 

 ウルップソウ

 イワオウギ。

 ピンクの花はタカネナデシコ かな?

 タカネツメクサ かな?

 ハクサンフウロ

 山々の姿がくっきり見えて、素晴らしい眺めです。とんがっているのは白馬鑓(やり)だそう。

 高山の景観を見ると感動して、思わず涙がにじみます。しんどかったけど、来てよかった。

 

 上の方に村営白馬頂上宿舎が見えてきて、ほっとしました。

 

 疲れているのにどういうわけか足が軽くなり、ピッチを速めて登りきります。頂上宿舎からは稜線を30分ほど歩いて、今夜の宿、白馬山荘というでっかい山小屋に着きました。初めの計画では2時過ぎに着く予定だったけど、私のストック事件で出発が遅れたり、暑さでペースが落ちたりして、3時ごろになっていました。

 チェックインの後、部屋に荷物を置き、一休みしてから白馬岳山頂へ。30分ほど登るだけです。

 

 4時前、山頂に到着。標高差1690mを登りきり、感無量です。

 登った時とは違うコースで山小屋へ下ると、途中でコマクサを見つけました。「高山植物の女王」と呼ばれる可愛い花です。

 薄雪草も咲いています。

 山小屋の近くにはタカネシオガマ。

 ウサギギク。

 ミヤマクワガタ

 ミヤマハタザオ? かな?


 花はもっとたくさんの種類が咲いていたのですが、余裕がなくて写真が撮れなかったものも多いです。

 この日、山小屋の外から見る夕焼けが絶景だったらしいのに、私はほかのことをしていて気がつかず、見逃してしまいました。残念でたまりません。

 暑い中を、今まで経験したことのない長い時間と標高差を歩いたし、ザックはトレーニング山行の時よりさらに重く、9kgくらいになっていたので、くたくたに疲れました。山に来ると、というか、旅行に出るといつも寝つかない私ですが、この日は入眠剤2錠ですぐ寝つき、ぐっすり眠りました。

 

地獄谷から万物相へ(六甲山) 夏山トレーニング2回目

 水曜日は白馬岳に行くためのトレーニング山行の2回目。芦屋川駅〜芦屋地獄谷〜万物相(ばんぶつそう)〜風吹岩〜横の池(お昼休憩)〜打越峠〜八幡谷〜岡本駅のコースでした。主な目的は万物相でアイゼンを着けて歩く練習をすることです。

 芦屋地獄谷は川を渡渉しながら険しい岩場を登っていくハードなコースです。訪れたのは、3〜4年前に山の会でリーダーになるための講習を受けたとき以来。そのときはベテランのリーダーさんについていくのに必死で、怖いと思う暇もなかった。無事に歩き終えて大きな達成感を味わったことを覚えています。

 ところが今回は、昨年夏、高座谷の濡れた岩で足を滑らせ、2〜3メートル滑落して怪我をしたトラウマが残っていて、スタート地点から怖くて仕方がなかったです。地獄谷の岩は、濡れていたり苔がついていたりで、見るからに滑りやすそうなのです。そうは言っても、登り始めたら途中で引き返すわけにはいきません。

 先頭を行くHさんは岩場登りが大好きなようで、嬉々として進んでいきます。リーダーのゆこりんさんも余裕たっぷりの登り方。間に入れてもらった私はとにかく怪我をしないようにと、それだけを考えて慎重に取り組みました。「ひゃー! こんなところを登るなんて、無理!」と声を上げたくなったこともたびたび。段差が大きいと体が持ち上がらず、後ろからお尻を押し上げてもらったりしました。

 なんとか切り抜けたときには心底ほっとしました。リーダーになる講習のときと比べて進歩はなかったけど、退化したわけでもなかったので、高齢の私は自分で自分をほめておきました。

 続いて、アイゼンを履いての歩行練習です。砂のような砂利のような歩きにくい道を登って、

 

 ようやく万物相に着きました。風変わりな風景が広がっています。

 

 アイゼンを着けて歩くのも、リーダー講習以来です。こちらは前より上手に歩けました。よかった!

 午前中でもうくたくたに。昼食後の下りが歩きやすい楽なコースだったので助かりました。ゆこりんさんが言うには、「白馬に行くのに地獄谷を歩く必要はなかったんだけどね」。えー! そうだったの! 「苦労して損した」と思ったけど、口には出しませんでした。こんなへっぽこの私を白馬へ連れて行ってくれるゆこりんさんには感謝しかないのです。

 トレーニング山行はこれで終了。あとは各自で、ということになり、例会か個人山行で8キロのザックを担いで歩いて鍛えようと思っているのですが(この日までは7キロしか背負っていなかったのです)、毎日雨ばかり。明日はやっと晴れるけど、用事があって山には行けません。梅雨の晴れ間を待ち望んでいます。

 

追記:よく考えてみると、リーダーになる講習のときは最小限の荷物を背負って行き、今回は7キロにしたのでした。それでも同じ程度に歩けたのですから、進歩しているわけです。にこにこ。

 

 

黒岩尾根〜摩耶山〜山寺尾根(六甲山)

 先週、友達と3人で久しぶりに摩耶山に登ってきました。この夏、北アルプスの白馬岳に行くためのトレーニング山行です。

 新神戸→市ヶ原→黒岩尾根→摩耶山の掬星台(昼食)→山寺尾根→長峰堰堤→護国神社→阪急六甲、というコース。摩耶山には山寺尾根から2回、徳川道〜桜谷から1回、登ったことがありますが、黒岩尾根から登るのは初めてです。「黒岩尾根はきついよ〜」と山友から聞いたことがあり、びびっていました。

 行ってみたら、確かに急な登りが続くけれど、意外と平気でした。暑かったけれど、曇りで日差しが穏やかだったので、ガンガン照りつける日に歩くことを思えば快適。それに私、登りには案外強いらしい。先頭を歩く健脚のHさんにそれほど遅れることもなくついていけました。掬星台は涼しくて、1枚余分に羽織ったほどです。

 途中で見た花。コアジサイ

 

 

ヤマボウシ

 

ツルアリドオシ。とても小さな花です。

 山寺尾根を下るのも初めてでした。最初の方が特に急で、難儀しましたが、自分のペースでゆっくり歩けば大丈夫でした。ざらざらした砂地やガレ場の下りは足が滑りそうで怖くて何より苦手。岩場の下りの方が歩きやすいです。

 YAMAPでは6時間半、10.6km、上り877m、下り868mでした。翌日はひどい筋肉痛。これも久しぶりでした。

裏磐梯へ3泊の旅

 先週、姉と二人で福島県裏磐梯に行ってきました。旅行はすごく久しぶり。幸い、好天に恵まれました。

 関西から行くにはずいぶん遠い所です。東海道新幹線東北新幹線と乗り継ぎ、郡山駅から磐越西線猪苗代駅へ。駅前からホテル(裏磐梯レイクリゾート)のシャトルバスでさらに30分かかりました。最初は飛行機で行こうかと考えていたのですが、連絡が悪くて待ち時間が長すぎるのでやめました。環境負荷から考えても、飛行機にはなるべく乗らない方がいいらしいです。

 ホテルには2泊したので、ゆったりのんびり。桧原湖という大きな湖のそばに建っていて眺望が抜群です。

桧原湖の遊覧船から見た磐梯山の眺め。

 それに、ロケーションが最高に良かった。五色沼をめぐる遊歩道の入り口まですぐなのです。今回の旅の1番の目的はその遊歩道を歩くことでした。実家の母が若い頃、友達と二人でこの辺りを旅行して、とても楽しかったと話していたことが記憶に残っていて、以前から行ってみたかったのです。

 五色沼というのは、大小さまざまな沼がいくつもあって、その水が青緑色だったり青だったり透明だったりして、とてもきれいなのです。沼をめぐる遊歩道は往復2時間余りで歩けるハイキングコースになっています。

 道はよく整備されていて、新緑が美しく、心地よい森林浴ができました。道端にはいろんな花が咲いていましたが、私には名前がわからないのが残念でした。山の会の例会に行くと植物に詳しい人が教えてくれるのですが、すぐ忘れてしまうんですよね。。。

 沼というと、よどんだ濁った水を想像してしまいますが、磐梯山が火山だからか、豊富に水が湧き出ているようで、川がそばを流れていて沼の水が澄んでいました。青緑色の沼が木々の間から見える様子は、はっとするほどきれいです。

 明治の中頃に磐梯山が大噴火を起こし、川がせき止められていくつもの湖や沼ができたのだそうです。

  3日目は喜多方へ。ラーメンで有名な町ですが、お昼には美味しいお蕎麦を食べました。この日は熱塩温泉山形屋という旅館に泊まりました。駅前に送迎バスが来てくれて、こちらも30分くらいかかりました。

 料理は、連泊したホテルよりも3泊目の旅館の方が美味しかったです。この旅館には岩盤浴の設備もあり、ネットから予約したお客は無料で利用できます。岩盤浴って、私は初めてでした。背中から温まって、すこぶる気持ちよかったです。温泉のお湯はやや熱め。岩と木で造られたクラシックな雰囲気の浴室に東北の味わいを感じました。

 物価が上がるばかりで、家計を切り詰めないといけないのに旅行なんて贅沢だ、と思っていましたが、たまに旅行に行くとやっぱり気分転換ができて楽しい! もともと、知らない土地を訪ねるのは大好きなんです。これからも1年に1回くらいは行けるといいなあ。

 

 

お茶(茶道)の楽しみ その4 映画「日日是好日」

 前の記事に載せた炭手前の動画を見てくださればわかるように、お茶の動作はゆっくりしています。一つ一つの所作をきちんと丁寧にしますし、道具を傷めないように心がけるので、バタバタした雑な動きにはなりません。これも、お茶の稽古で気持ちがしずまる理由の一つだと思います。

 今の世の中、やたらとスピードが速い。いつもせきたてられているような気がします。静かなお茶室で呼吸を整えるようにゆったりと動いていると、気持ちが切り替わり、しだいに落ち着きます。かといって、動作は遅ければ良いというわけではなく、ほどほどが肝心で緩急のリズムも大切だと教わりました。

 2018年に公開された映画「日日是好日(にちにちこれこうじつ)」。主人公(黒木華)がふとしたきっかけでお茶を習い始め、お稽古を続けて行くうちに生き方が変わっていくという物語です。見ていて、そうだよなあ、そうなるよなあと共感できる部分がたくさんありました。

 主人公は最初、いとこ(多部未華子)と二人でお茶の先生宅を訪れます。和室に通され、「少し待っていてね」と言われます。二人は部屋の中で立ったまま、珍しそうにあたりを見回します。この様子が、私にはひどくみっともなく見えました。でも、「たしかに、最初はそうだよなあ」と思い当たりました。

 つまり和室での振る舞い方を知らないだけなのです。このごろは和室のない家がほとんどですから、無理もありません。和室があっても、そこでの行儀作法を教えてもらう機会なんてあんまりないですしね。それに、二人とも若いので、気持ちがうきうきしていて、その分、体に落ち着きがないのです。お稽古を始めてからも、最初はお点前の動作がうまくできないだけでなく、心が静まっておらず、体全体がそわそわして見えます。

 主人公はお稽古を続けて、お点前を習得していきます。すると、見た目の佇まいがはっきり変わっていくのです。そわそわしていたのが、すっと落ち着いて見えます。体の動きも無駄なくしなやかになります。

 黒木華の演技はとてもうまくて、お茶の稽古の積み重ねがもたらす変化がよくわかりました。最初、和室の中で立ったままキョロキョロしていた娘さんとは別人のようでした。映画では、お茶の上達と並行して、主人公の自分の人生に対する構えもどっしりしていきますが、お茶にそこまでの効用があるかどうかは、私にはよくわかりません。

 樹木希林が演じたお茶の先生は、私が習っている先生とダブって見えました。人を受け入れる度量の大きさ。お点前の指導はきちんとしているけれど、うるさく咎めるわけではなく、いつも暖かく優しい。お茶についての知識が豊富で、質問にはいつでも的確に答えてもらえるという安心感があります。芯に揺るぎないものが感じられ、先生がそこにいるだけでお茶室にいつも程よい緊張感が保たれていました。

 お稽古ごとは、良い先生との出会いが何より大切です。人柄が良く、自分との相性も良さそうな先生に出会えたら、楽しく長く続けられます。

 

お茶(茶道)の楽しみ その3 薄茶と濃茶、炭手前

 お茶の稽古で点てるお茶には、薄茶と濃茶(こいちゃ)の2種類があります。薄茶は少なめの抹茶に多めのお湯を注ぎ、茶筅で泡立てます。さらりとした、飲みやすいお茶です。どの程度泡立てるかは流儀によって違います。

 濃茶は多めの抹茶に少なめのお湯を注ぎ、茶筅でねっとりなめらかになるまで練り上げます。どろっとしているので、慣れないうちは飲みにくく感じられるかも。濃茶に使う抹茶は薄茶用より高級な場合が多いです。同じお茶の木でも、一番良い部分を濃茶に使い、そうでない部分を薄茶に使うと聞いたことがあります。

 薄茶はお茶のカジュアルな形、濃茶はフォーマルな形と言えます。和風の喫茶店で薄茶と和菓子のセットを用意しているところはときどきありますが、濃茶にはお目にかかりません。お寺などでお茶席が設けられていて、誰でもお茶がいただけるようになっている場合も薄茶です。

 濃茶は、抹茶の値段ががもともと薄茶より高い上にたくさん使うので、先生によってはめったにお稽古させてくれないことがあるようです。幸い、私が習っている先生は、薄茶と濃茶、両方のお点前が一通りできるようになったあとは、毎回、両方のお稽古をしてくださいました。

 お茶を点てる「お点前」のほかに、炭をおこす「炭手前」(すみでまえ。文字の表記は流儀によって違うかもしれません)の稽古もします。お茶に使う湯は鉄製の釜で沸かすのですが、そのときに使う火は炭を燃やすのです。11月から4月末までは「炉」、5月から10月末までは「風炉(ふろ)」という所に炭を入れて火をおこします。どんな炭をどう入れるか、手順が決まっているのです。

 Uチューブで動画を見つけました。炉の場合。

youtu.be

 この動画では着物を着ていますが、ふだんのお稽古は洋服でかまいません。着物を着ていけば、それはそれで歓迎されます。

 風炉の場合。

youtu.be

 炭手前がうまくできると、順調に火がおこります。炭に火がついて赤々と燃えている様子は見とれるほど美しい。私はこの炭手前が大好きでした。お茶に使う炭は見た目も立派でとても高価なので、これも先生によってはなかなか稽古させてもらえず、電熱器で済ませる場合が多いようです。私のお茶の先生はいつも炭を使ってくださっていたのですが、90歳を過ぎて認知症が進んできてからは、後始末が心許ないからか、やめてしまわれました。

お茶(茶道)の楽しみ その2

 お茶のお稽古を楽しいと感じるのは、ほかにも理由があります。お茶室にいて、お稽古をしていると、五感が快く刺激されるのです。

 視覚。お茶室という和風空間の美しさ。畳、土壁、建具、床の間、天井。それぞれが落ち着いた雰囲気です。調湿や吸音の効果もあるらしい。

 お茶を点てるための道具は、一つ一つが伝統工芸によって作られていて、存在感を放っています。例えば水指(みずさし。お点前に使う水を入れる容器)や茶碗は焼き物、薄茶を入れる棗(なつめ)の多くは漆器。濃茶を入れる容器は焼き物で、布の袋に入れます。その布も伝統工芸の作品です。

 茶筅(ちゃせん。お茶を点てる道具)や茶杓(ちゃしゃく。お茶をすくう道具)、柄杓(ひしゃく。お湯や水をすくう道具)は竹細工。床の間に花を飾る花器は焼き物だったり金属を加工したものだったり。

 床の間には必ず掛け軸を掛けます。そこに墨で書かれた文字(たいていは禅語)の味わい(意味がわからなくても、見ていて面白い)。文字の部分を引き立てるために配置された布の魅力。

 聴覚。静かな空間にお湯がわく音(鉄製の釜でお湯を沸かします)。お茶を点てるとき、茶筅と茶碗が触れ合うサラサラという音。畳を歩くときの音。着物を着ている場合は絹ずれの心地よい音がします。聴覚が研ぎ澄まされて、茶室の外で風が吹いている音も耳に入ってきます。

 嗅覚。お茶の匂い。炭が燃える匂い。炭にくべたお香の匂い。

 味覚。お茶をいただく前にお菓子を食べます。和菓子の上品な甘さ。そしてその後で飲む抹茶のほんのりした苦味と甘味。

 触覚。お茶道具の、焼き物や漆器、竹細工、布に触れるときの感触。あいさつで畳に手を置いたときの畳の手触り、畳の上を歩くときの足裏の感触など。

 今の世の中では視覚から入る刺激ばかりがどんどん強くなってきています。お茶室では五感がバランスよく刺激されるので、本来の自分が生き返るような気がするのです。

 もう一つ、大事なポイントがあります。「五感が刺激される」と言っても、脳だけが働いているのではなく、体の動きを伴っていることです。畳の上を歩く、立ち上がったり、座ったりする、正座したまま体の向きを変える、腕や手を動かすなどです。じっとしているときも、姿勢を意識するので、筋肉は働いています。

 例えばパソコンやスマホでゲームをしていると、視覚と聴覚は絶えず刺激されるでしょうが、脳ばかりが働いていて、体はじっとしています。お茶のお稽古では脳と体の働きもバランスが取れているのです。