冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

謡(うたい)のお稽古を始めています

 4月から月2回、某カルチャーセンターで観世流の謡の教室に通っています。今まで書かなかったのは、続けられるかどうか、自信がなかったからです。

 

 謡というのは能のボーカル部分です。シテ(大雑把に言えば主役のこと)、ワキ(大雑把に言えば脇役のこと)、地謡(じうたい。コーラス隊のようなもの)が語る、音楽的な詞章です。

 能を見ることが好きになってから、謡の言葉の意味がもっとよく理解できれば作品をもっと深く鑑賞できるのになあと思うようになりました。ネットや本でも詞章の言葉づらはわかるのですが、表面しかつかめません。もっとよくわかるのには自分で稽古してみるのが一番いいんじゃないかな? と思うようになりました。

 というのは、豊竹呂太夫師匠の素人向け義太夫講座に10年間通った経験があるからです。毎年、夏の発表会では能舞台に一人で座り、プロの三味線弾きさんに三味線を弾いていただいて義太夫の一部分を語るという経験をしてきました。その日に向けて、師匠とのマンツーマンのお稽古を重ね、何カ月かはほとんど義太夫一色で稽古に励むという生活を送りました。その結果、義太夫の面白さや味わいが以前よりずっとよくわかるようになり、文楽の公演を見る(プロの義太夫を聴く)鑑賞力が高まったことを実感してきたからです。

 問題は、私の衰えた脳みそで新しい習い事を始めて(しかもかなり難しいことがあらかじめわかっているのに)、先生の説明をどこまで理解できるか、教えていただいたことをどこまで覚えられるか、というところでした。要するに、「ついて行けるかな」と不安だったのです。

 始めてみたら、先生はとても優しく教えてくださるし、先輩弟子さんたち(皆さん、80代の初めというご高齢。年齢の上でも私よりずっと先輩です)も暖かく迎えてくださり、教室の居心地は上々です。

 ついて行けているかどうかというと、そこは微妙です。やはり決まり事が多くて難しいなあと感じています。先生の説明もその場では理解しきれず、後日、家で録音を何度も聞き直して、「そういうことだったのか」と納得することもしばしば。覚えるのもなかなかで、毎回、復習と予習が欠かせません。

 お稽古の進行はけっこう早くて、「鶴亀」「橋弁慶」を終え、今は「吉野天人」に取り組んでいます。今までは「ツヨ吟」という謡い方だけだったのが、「吉野天人」からは「ヨワ吟」という謡い方が加わり、覚えないといけないことがさらに増えました。でも、私がこれまで能楽堂で聴いて「いいなあ」と思っていたのは「ヨワ吟」だったことがわかり、先生のお手本の後でおぼつかないながら一節を謡うと、これがまことに快感! なのです。

 こんな調子で、しばらくは続けていけそうな気がしてきました。謡を謡うのは気持ちいい、という体感・実感があるので、やめられなくなりそうです。

立山に行きました その2

 夜中に雨が降りましたが、3日目は快晴でした。朝焼けの美しかったこと! 尖った山は鹿島槍だそうです。

 

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 別山(べっさん)に向かって歩きます。昨日とは打って変わって、北アルプスの素晴らしい景観が思う存分楽しめました。360度のパノラマです。

 

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 別山の頂上からは、北側に剱岳の威厳あふれる山容を間近に眺めることができます。

 

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 ほかの山とはまったく雰囲気の異なる山でした。登ってみたいとは思わないけど、いつまでも眺めていたい気持ちになりました。

 

 別山乗越(のっこし)を経て、雷鳥平へ降りて行きます。

 リンドウ。

 

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 ナナカマドの実が赤くなっています。

 

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 立山の広大なカルデラが眼下に見渡せます。緑に覆われて、自然の厳しさよりも人の営為のぬくもりが感じられる風景でした。

 

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 雷鳥平から室堂、そしてみくりが池温泉へは延々と登り階段が続きます。疲れた足にはとてもきつかったです。

 途中、「血の池地獄」(鉄分が多いために湖水や土が赤く見える)や、火山活動の続いている白っぽい「地獄谷」を眺めることができました。

 

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 山の姿が映り込んだ池。

 

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 やっとの思いでみくりが池温泉に着き、温泉で汗を流しました。お風呂上がりに飲んだビールの美味しかったこと! 富山名物、白えびの唐揚げとセットでいただきました。

 

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 なぜかYAMAPがうまく作動せず、記録が取れませんでした。ゆこりんさんに後日教えてもらったところでは、距離5.1km、上り381m、下り816mだったとのことです。

 かがとの痛み(足底筋膜炎)が完治しないまま行ったので、歩いている途中に痛み出さないかと気がかりでしたが、不思議なことに、立山にいる間ずっと、少しも痛みませんでした。立山の神様が守ってくださったのだろうと今でも思っています。

立山に行きました その1

 8月下旬の3日間、山友でベテランのゆこりんさんに立山へ連れていってもらいました。

 1日目。JR、富山の各停電車、ケーブル、バスを乗り継いで室堂に到着。みくりが池温泉まで歩きました。

 みくりが池。

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 こんな白い花(ゆこりんさんに名前を教えてもらったのに忘れてしまいました)や、小さめのリンドウが咲いています。

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 草紅葉も始まっていました。黄色く色づいているのはイワイチョウ

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 こちらが1日目の宿、みくりが池温泉の建物です。

 

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 荷物を置いて、付近を散策。濃い霧が立ち込め始めて、まわりは何も見えません。明日はどうなるかな?

 晩ご飯はとびきり美味しかったです。

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 左上からつぼ煮(郷土料理)、右へずんだ、海老、里芋の小鉢、右端がサーモンサラダ。下の中央はカンパチの刺身。左側真ん中は胡麻豆腐です。ご飯と味噌汁はセルフサービスだったので、自分の食べ切れる量に調節できて助かりました。 

 これだけでも豪華なのに、揚げたての油淋鶏(ユーリンチー、名前は知っていたけど初めて食べました)が追加で出てきました。

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 硫黄の匂いのする温泉でまったりして、早めに就寝です。

 

 2日目。今日も霧(山用語ではガスと言います)に覆われています。周囲の景色はまったく見えません。おまけに強風。稜線を歩くコースなので、風を防ぐものがなく、軽量級の私は吹き飛ばされそうになりましたが、ザックがそこそこ重いので、何とかこらえられました。

 今回初めて知ったのですが、「立山」という名前の山はなくて、雄山(おやま)、大汝山(おおなんじやま)、富士の折立(おりたて)の三つを総称して立山三山と呼びます。雄山、別山浄土山を合わせて立山三山と言う場合もあるようです。

 一の越(いちのこし)というところから急登になりました。空気が薄いので喘ぎながら登り、スタートから3時間ほどで雄山の頂上へ。

 

 

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 歴史を感じさせるお社が建っています。社務所でお金を払い、鳥居をくぐって山頂に行きました。

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 社務所には神主さんがおられて、お祓いをしてもらいました。

 

 大汝山へ。標高はこちらの方が少しだけ高いです。調べてみると、富山県で一番高い山で、全国でも20番目の高さだそうです。

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 さらに歩いて、昼ごろ富士の折立(おりたて)へ。この辺りの道がどんなだったか、早くも記憶がおぼろです。ただ、ときどき奇跡のようにガスが流れ去って、素晴らしい景色を眺めることができたのは鮮明に覚えています。それまで視界は限りなくゼロに近かったのが、急に開けたときの喜びはひとしおでした。

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 真砂岳に登ると、

 

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今夜の宿、内蔵助山荘へはすぐでした。私たちは朝7時前に出発して午後1時半ごろに着いたので、霧に濡れただけですみましたが、その後、雨が降り出して、びしょ濡れで到着した人たちもいました。山の天気はよく変わります。雨にあわなかっただけでもラッキー! だったのです。

 晩御飯まで時間があったので、談話室で少しばかりアルコールを飲みながら、ゆこりんさんとおしゃべりしたのも楽しいひとときでした。

 YAMAPの記録では歩いた距離は5.1km、時間は6時間47分。とてもゆっくりしたペースです。上り高低差は756m、下りは371mでした。

 

 次の記事に続きます。

 

7月初めからの山歩き

7月4日。

 山の会の例会で初めてSL(サブリーダー)をしました。「まん防」の期間中だったので、参加できる会員は12人限定。CL(チーフリーダー)とSLを除くと10人です。CLさんの話では、前日夜の電話受付で、定員オーバーのため、11人、お断りしたとのことでした。

 会員さん10人のうち、二人は80代の女性。病気のため片肺を切除したという男性も一人いました。暑い日だったこともあり、その方々に配慮しながら歩くことを心がけました。

 2班編成にして、私は1班の先頭を歩くことに。最後尾はベテランの会員さんにお願いしました。間に、このコースに詳しい方(CLさんのご夫君)が入ってくださったので、途中の分岐でその方に「こっちですよね」と聞きながら進んだりしました。80代の女性二人は私の班に、片肺切除の男性はCLさんの班に入りました。例会では基本、午前中はSLが先頭を歩き、午後はCLが先頭を歩きますが、この日は結局、午後も私が先頭を歩くことになりました。

 コースは、阪急電車宝塚線清荒神駅から渓谷沿いの道を登り、中山寺奥の院を経て、山頂展望所で昼休憩。午後は日差しの照りつける参道を避けて、木陰の多い細い道を選ぶようにして歩き、中山寺に下ります。3回半、下見をしたので、ほぼ分岐を間違えずに歩くことができました(わかっていなかったところがまだ1カ所ありました)。

 終始ゆっくり歩くようにしたので、80代の女性二人は元気に歩き通しました。片肺切除の男性は午前中、大汗をかいて、しんどそうでしたが、CLさんの対応が素晴らしく、午後には回復されて、無事にゴールしました。

 CLさんはじめ、CLさんのご夫君や、参加者の皆さん方に助けられて、初めてのSLをなんとか無事に終えることができ、ほっとしました。

 

7月11日。

 山の会の「体験ハイキング」に参加。友達のゆこりんさんがSLなのと、25日に私がSLをする体験ハイキングのコースと一部、共通するところがあったからです。

 「体験ハイキング」は入会希望者向けのイベントですが、会員も5名まで参加できます。ところがこの日は蓋を開けてみると、前日申し込んできた会員参加者はゼロで、私がただ一人の参加者になりました。体験の参加者は4人でした。

 コースは、阪急電車神戸線岡本駅から八幡谷を登り、七兵衛山、甲南パノラマ道を経て、横ノ池で昼休憩。午後は風吹岩、蛙岩、会下山(えげのやま)遺跡を経て芦屋川に下ります。晴れて、とても暑い日でしたが、体験参加の皆さんはとても元気。かなり歩き慣れているようでした。「私よりずっと足がしっかりしてるなあ」と感心してしまいました。

 歩きながらゆこりんさんと話ができたし、25日の体験ハイキングの予習にもなりました。

 

7月17日。

 友達のShさんを誘って、1週間後に迫った体験ハイキング(私がSLをします)の下見に行きました。ゆこりんさんに頼んで一通りコースを歩いてもらったことがあり、CLさんとの下見も済んでいるのですが、どちらも2カ月以上前のことで、一部は記憶が曖昧になっており、もう一度確認しておきたかったのです。

 コースは、阪急電車神戸線岡本駅から八幡谷登山口に入り、登る途中、山の神の分岐ではぶ谷に入ります。七兵衛山で早めの昼休憩を取り、横ノ池(本来はここで昼休憩)、風吹岩、道畔(みちあぜ)、鷹尾山、城山を経て芦屋川に下ります。ところが、6月下旬に2度、鷹尾山あたりでクマの目撃情報があったのです。その後は聞かないので大丈夫かもしれなかったのですが、女性二人なので万一の場合を考えてコースを変更。風吹岩から少し歩いて、間違えやすい分岐を確認してから戻り、蛙岩、会下山遺跡を通って芦屋川に下りました。

 Shさんに会ったのは久しぶりでした。私と同じように古典芸能が大好きな人なので、その方面の話題で会話が弾みました。風吹岩から会下山遺跡方面へ下りる道は歩きにくい上にずいぶん遠くて、少し疲れました。

 

7月25日。

 SLをつとめる体験ハイキングの本番です。会員参加者5名のほか、紹介者(体験参加者を紹介した会員)など3名が加わり、8名のグループに。CL、SLを含めて10人になりました。分割せず1班で行動することに。体験参加者は5名。こちらにはベテランのリーダーさんが二人付きます。会員グループの先頭を私が歩きました(午前、午後とも)。体験参加者はその後に続きます。

 コースは、阪急電車神戸線岡本駅から八幡谷登山口に入り、登る途中、山の神の分岐ではぶ谷に入ります。七兵衛山は最近、蜂がいるという情報が入っていたので寄らないことにして、横ノ池で昼休憩。午後は風吹岩、道畔(みちあぜ)、鷹尾山、城山を経て芦屋川に下ります。

 11日よりさらに気温が上がり、体験参加者のレベルもまちまちのようでしたので、ゆっくり歩き、決まった休憩ポイントのほかに、ほぼ10分ごとに水を飲むための休憩を取るようにしました。休憩ポイント間の所要時間をはっきりメモしていなかったので、次の休憩ポイントまでもうすぐの所に来ているのに補水休憩を取ったりしてしまいましたが、それ以外は順調でした。

 実を言うと、私はこの日の朝、おなかの調子が悪くて2、3回下痢をしてしまったのです。後で思えば、体調不良の場合はCLさんに連絡して、どなたかにSLを代わってもらうということも考えないといけなかったのですが、当日の朝では難しい。それに私はやる気満々で、そんなことを思いつきもしませんでした。昼ごはんも食欲がなくて少ししか食べられず、体に力が入っていなかったのか、2度、転びかけました。「この辺、危ないので気をつけて歩いてくださいね」と呼びかけた直後に自分が転びかけてしまったので、すごく恥ずかしかったです。

 とはいえ、熱中症になる人も怪我をする人も出ず、無事にゴールできたのが何よりでした。ゴール後のミーティングで体験参加者のうちのお一人が「最後まで歩き通せるかどうか自信がなかったのですが、何度も休憩してもらえたので助かりました」と感想をおっしゃったのがうれしかったです。

 

7月31日。

 Shさんを誘って六甲へ。と予定していたのですが、2度目のワクチン接種(29日でした)後、38.4℃の熱が出るなど体調がすぐれなかったため、中止しました。

 

8月8日。

 ゆこりんさんと二人で山へ。18日から2泊で立山へ連れて行ってもらうことになっていて、そのトレーニングを兼ねています。コースは神戸市営地下鉄谷上駅から森林植物園、徳川道、桜谷を経て摩耶山。昼休憩の後、地蔵谷を下り、市ケ原、布引滝を経て新神戸にゴールしました。

 徳川道も桜谷も、歩いていてとても気持ちの良い所でした。しかし、めちゃくちゃに暑い! 今まで経験したことのない暑さです。びっしょり汗をかき、頭がぼーっとしてくるので、「これは危ない」と、水(ポカリスエットを倍に薄めたもの。塩を少量、足さないといけないのに、うっかり忘れてしまいました)をたびたび飲みました。桜谷分岐から摩耶山まではおよそ1時間で登れましたし、摩耶山に登るほかのコースに比べればはるかに歩きやすくて助かりました。

 摩耶山に着くまでは「ロープウェイで下ろうか」と話したりもしていたのですが、掬星台に着き、風の通る日陰に座ってお弁当を食べたら元気が戻ってきたので、予定どおりのコースを歩いて下ることにしました。下りも暑かったです。

 途中、何カ所か、ヒグラシの声がシャワーのように降り注ぐ場所があり、幸せな気持ちになれました。

 結局、この日は13.5km、7時間半を歩き通しました。歩いているときはなぜかそれほど遠いとは感じず、「もういやだー」とも思わずに歩けて、不思議なほどでした。頭がぼーっとしていて思考力がなかったのかも? と思ったりしています。

 リハビリを始めてからこんなに歩いたことはなく、案外元気に歩き通せたので自信がつきました。立山、大丈夫かも(大丈夫でなかったら困りますが)。9月になったらBランクの例会に参加できるかも。

 

 

京舞と能「鉄輪(かなわ)〜大槻能楽堂「ろうそく能」 続き

 能「鉄輪」の主な出演者は次のとおりです。

シテ 前シテ 女、後シテ 女の生霊 大槻文藏

ワキ 安倍晴明 福王知登

ワキツレ 下京の男(女の夫) 喜多雅人

アイ 貴船の社人 野村裕基

 

大鼓 河村 大

小鼓 幸 正佳

太鼓 前川光範

笛  杉 市和

 

 前シテの女は橋掛かりを非常にゆっくりと歩みます。京都市左京区あたりから来るのだそうで、貴船神社までは昼間でも2時間はかかるのだそう。文藏さんの姿を見ていると、灯りもない真っ暗な道を女が歩いているのがわかります。そして、その心の中はもっと闇に閉ざされているのだろうと想像できました。

 貴船神社の社人からお告げを聞くと、女の様子が変わり、度肝を抜かれるような素早さで去っていきます。登場のときの緩やかさと対照的でした。

 この後、妻を捨てて別の女に走った男と安倍晴明とのやりとりがあり、舞台正面に一畳台が置かれます。これは晴明が作った祭壇で、夫と新しい妻の身代わりとして紙の人形、妻の髪、夫の烏帽子が置かれています。

 後シテは「生成(なまなり」という般若に近いような恐ろしげな表情の面を付け、お告げのとおり頭に鉄輪を乗せ、鉄輪の3本の足にそれぞれろうそくを立て、打ち杖を持って現れます。生霊には祭壇の人形、髪、烏帽子が新しい妻と自分を捨てた夫に見えるのです。女は恨み、憎しみを晴らそうと祭壇に近寄ります。生々しいのは、髪を手に巻き付けて強く引っ張るところでした。

 生霊は晴明が招じ入れた三十番神(この意味がよくわかりません)に恐れをなして力を失います。地謡の「時節を待つべしや。まづこの度は。帰るべしと言ふ声ばかりはさだかに聞こえて言う声ばかり聞こえて姿は目に見えぬ鬼とぞなりにける、目に見えぬ鬼となりにけり」という謡とともに立ち去っていきます。文藏さんのシテはいつものことながら強いオーラのようなものを放っていて、終始目が離せませんでした。

 囃子方では杉市和さんの笛が強烈でした。どの場面だったか忘れてしまったのですが、同じ音程でずっと長く吹き続け、それを何度も繰り返しました。その音色がこの世のものとは思われないほど強くて、頭の芯が痺れるような感じがしました。

 この日も客席は市松状態。でも、満席でした。「ろうそく能」にぴったりの「鉄輪」という曲、しかも井上八千代、大槻文藏という人間国宝二人の共演ですから、人気を呼んだのでしょう。公演再開後に私が大槻能楽堂に来たときはいつもお客が少なくて心細くなるほどでしたので、この日の盛況ぶりにはうれしくなりました。

 

京舞と能「鉄輪(かなわ)〜大槻能楽堂「ろうそく能」

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 7月9日(金)の夜、大槻能楽堂京舞と能の「鉄輪」を見ました。毎年夏に開かれる「ろうそく能」です。昨夏はコロナのために中止になり、演目や出演者を変えずに今年ようやく実現したのです。

 公演に先立って、作家の夢枕獏さんが「丑刻詣と陰陽師」というタイトルでお話をする予定でしたが、体調不良で中止に。ご本人から観客へのお手紙のような文章をプリントしたものが配られました。

 お話の代わりに大槻祐一さんと井上安寿子さんの対談があり、司会を務めた桂吉坊さんが対談に先立ってそれを読み上げました。実物をなくしてしまったので、ここに引用できませんが、夢枕さんが「鉄輪」について「悲しみ」という言葉をキーワードにして書いていることに共感を覚えました。嫉妬に狂った女の恐ろしさ、ではなく、「悲しみ」。これがわからなければこの作品を誤解するだろうと私は思います。

 当日配られた資料からあらすじを紹介します。

 夫に捨てられた女(妻)は恨みを晴らそうと貴船神社で丑刻詣を始めた。女が来ることを夢で見ていた宮の社人は、「赤い衣を着て顔に朱を塗り、頭には鉄輪を載せてろうそくを三本灯せば、鬼神になれると神のお告げがあった」と女に話す。

 一方で、夫は夢見が悪いと陰陽師安倍晴明の元を訪れる。「女の深い恨みの念によって命が危うい」と晴明に告げられた夫は、妻を捨て後妻を迎えたいきさつを話し、祈祷を頼む。

 晴明が夫と新妻の人形(ひとがた)をつくり祈祷を始めると、前妻の霊が現れた。人形に向かって恨みをのべ、後妻の髪に手をからめ後妻(うわなり)打ちをし、夫の命を奪おうとするが、晴明の祈祷により集まった神々を前に目的を果たすことなく、恨み言を残して去っていく。

・・・・・・・・・ここまで・・・・・・・・

 

 点灯式が行われ、舞台と橋掛かりの前に立てられた和蝋燭が灯されました。それ以外の照明はありません。

 まず、京舞の「鉄輪」。舞うのは井上八千代(人間国宝)。歌・三弦、菊原光治、ほかに三弦、笛、小鼓、大鼓が入りました。

 私は舞踊というものがいまだによくわからず、玉三郎歌舞伎舞踊を見ても「きれいだなあ」と思うだけなのですが、この日は少し違いました。冒頭、菊原師の「わす」という言葉が耳に入った瞬間、井上八千代さんの表情から悲しみがほとばしり出るのが感じられたのです。あとで資料を見ると、「忘らるる、身はいつしかに浮草の、」という詞章の最初の部分でした。その言葉の意味がわかる前に、表現されている感情をまざまざと感じ取ることができたのは、私には思いがけない大事件(?)でした。

 京舞については、きりっとしているけれど全体に優美な雰囲気という印象を抱いていましたが、この「鉄輪」はかなり違っていました。速く強い動きが多くて、八千代さんの小柄な体から強靭なパワーが放たれているのが感じられたのです。跳躍して(膝を後ろに折り、足首から爪先までをぴんと伸ばして)、そのまま床にパシッと座る、という所作が何度も見られ、能の影響が感じられました。能では跳躍の後、一回転して座りますけれども。

 能「鉄輪」については次の記事に書きます。

 

面白い作品が多かった 春シーズンのドラマ

 この春の連続ドラマは見応えのある作品がいつになく多かったです。録画する番組が多過ぎて、消化するのが一苦労でした。

 中でも一番良かったのは、「コントが始まる」でした。高校の同級生3人(菅田将暉、仲野太賀、神木隆之介)で作ったコントグループ「マクベス」。10年間、続けてきましたが売れず、解散ライブを開くことになります。

 30歳を目前にした「今」の3人と、その周囲の人々(有村架純芳根京子鈴木浩介伊武雅刀など多彩)。高校時代や、チームを結成してからの頃に何度も戻りながら、解散ライブに向かって、3人それぞれの人生が展開していきます。菅田将暉有村架純という組み合わせの演技が映画で評判だったので見始めました。

 アラサーも「青春」と言うなら、まさに青春そのもの。私のような高齢者にははるか昔の時代で、今さら「青春」なんて言われても…と興醒めするかもと予想していたのに、まったくそんなことはなかったです。年齢を超えた普遍的な人間群像を描いていた、と書くと大げさかも知れません。もっと自然体で、毎回、ふんわりとした感動を味わっていました。

 一番印象に残ったのは、里穂子(有村架純)のマンションを訪れた潤平(仲野太賀)が、いつものように風呂場に入って足を洗おうとすると、突然、湯船の蓋が開いて、ウエットスーツを着て人魚のふりをした奈津美(芳根京子)が飛び出したシーンでした。その時の芳根京子の可愛かったこと! 潤平がびっくりしてオタオタしているところへ、先に来ていた春斗(菅田将暉)と瞬太(神木隆之介)が顔を出します。

 潤平と奈津美は高校時代からずっと交際を続けていて、でも奈津美は少し冷めてもきていて、いつもサプライズをしたがる潤平に「なんだかなあ」という思いを抱いていたのです。それを感じ取った春斗が奈津美に、逆にサプライズをしてみれば?と持ちかけたのでした。春斗の潤平への深い理解と愛情が感じられた場面でもありました。

 ほかに、良かったのは「大豆田とわ子と三人の元夫」。初めは軽妙な会話のやりとりを楽しんでいましたが、中盤から後半にかけて、登場人物の本当の思いがだんだん見えてきて、切なくなりました。放送の最後に主題歌と共に流れるシーンがとてもおしゃれでした。大豆田とわ子(松たか子)と三人の元夫(松田龍平角田晃広岡田将生)が登場するのですが、三人のうち、その回でクローズアップされた元夫の登場時間がたっぷり長いのです。つまり、通常バージョンのほかに3パターンが用意されていたわけで、「凝っているなあ」と感心しました。

 「今ここにある危機とぼくの好感度について」。渡辺あやさんの脚本らしく切れ味の鋭いブラックコメディでした。松重豊演じる学長が途中からとてもダンディでかっこいい初老男性に変身します。背が高く痩せていて小顔なので、立ち姿が様になって、背中に哀愁が感じられる場面もあり、この俳優さんの新しい魅力を発見できました。5回しかなかったのが残念でした。

 「イチケイのカラス」は現実味が乏しかったけれど、毎回スカッとするので楽しめました。「コタローは一人暮らし」も、最初は幼稚園児が一人暮らしするなんてありえない! と思っていましたが、背景にDVやネグレクトのようなシリアスな問題が出てきたり、コタローに関わる大人たち(横山裕生瀬勝久百田夏菜子ら)が良くて、それなりに見応えのある作品になっていました。

 そろそろ夏の連続ドラマが始まっていますが、今のところ食指が動く作品が見当たりません。豊作の後は不作かなあ。

5月末からの山歩き

5月30日。

 家族と二人で山の会の体験ハイキングのコースを歩きました。阪急電車神戸線の岡本駅から山手に登り、八幡谷登山口→はぶ谷→七兵衛山→横の池の雌池→雄池→風吹岩→道畦→鷹尾山→城山→芦屋川駅、というコースです。

 横の池の雌池が見えるところに着いて少し歩いた後で分岐を間違え、大きな岩の隙間の狭い道を歩いたり、ちょっとした岩場を下りたり。予想外だったので疲れました。結局、雄池には出ないまま、風吹岩に着いてしまいました。後で調べたら、かかった時間はほとんど変わりませんでした。

 鷹尾山ではピークに標識があるはずなのに、見過ごして城山まで行ってしまいました。その後、鷹尾山にクマが出たという情報をそらまめさんから聞き、六甲にもついにクマが! と衝撃を受けました。

 YAMAPでは歩いた時間は岡本駅から4時間53分、距離は7.1km。歩数計では1日で25731歩歩いていました。

 6月5日。

 5月下旬に上のコースの下見をしていただいたSさん、Sさんのお知り合いのKさん、Sさんとよく一緒に例会に行っているTさんと4人で体験ハイキングの中山のコースを歩きました。Kさんは中山の近くに住んでいる方で、この辺りのコースに詳しく、Tさんも体験ハイキングでこのコースのSLをしたことがあるそうで、お二人に教えてもらって、分岐を確かめながら歩きました。

 前回、家族と二人で歩いたとき、山頂から奥の院に行く途中、わざわざ遠回りをして…と思ったのは分岐を間違えていたからだとわかりました。奥の院から清荒神へ下る途中でロープを張った岩場を下ったので、「体験ハイキングでこんな危なっかしい道を歩くかなあ」と疑問に思ったのも、やっぱり分岐を間違えたからだとわかりました。

 わかってみれば、比較的歩きやすいコースでした。

 YAMAPでは4時間55分、8.3km。歩数計では26817歩歩いていました。

6月9日。

 山の会で7月4日に初めてSLをするコースをCLさんと一緒に歩きました。下見です。

 阪急電車宝塚線清荒神駅→奥の院→最高峰(昼食)→夫婦岩中山寺。とこう書くとシンプルで、私自身、中山は何度も歩いているので大丈夫とたかを括っていたのですが、とんでもなかったです。今まで気にも止めていなかった分岐を何度も曲がり、存在すら知らなかった細い道を歩く、入り組んだコースでした。特に午後は分岐が多すぎて、頭の中が混乱してしまいました。一番メインの参道は日陰が少ないので暑く、この日歩いた道は木陰が多いので涼しく歩けて、その点は楽でした。

 YAMAPでは5時間23分、8.3km、歩数計では28276歩歩きました。

6月20日

 CLさんにお願いして、二度目の下見をしてもらいました。紙と筆記具を手に、分岐ごとに簡単な絵と説明を書き留めていったので、ようやく全体がわかってきました。CLさんのお友達や私の友人も同行して、楽しく歩きました。

 高齢者の多いグループが暑い時期に歩くには全体に距離が長すぎ、時間もかかりすぎるので、最高峰まで行くのはやめて山頂展望所で昼食を取り、下山することに。これで1kmくらいは距離が短くなりました。

 YAMAPでは4時間49分、7.3km。歩数計では28607歩歩いていました。

6月24日。

 そらまめさんに付き合ってもらい、上記のコースをおさらい。分岐を確認しました。YAMAPの「道間違いお知らせ機能」をONにしておいたら、正しいルートを歩いている時にもたびたびアラームが鳴るので困ってしまいました。これでは本当に道を間違えたとき、「また鳴ってるわ」と無視してしまいそうで、意味がありません。

 そらまめさんと一緒に山を歩いたのはめちゃくちゃ久しぶりで、楽しかったです。付き合ってもらえて助かりました。午後、雨が降り出しましたが小雨ですみました。YAMAPでは4時間49分、7.3km。歩数計では28607歩歩いていました。

 6月28日。

 24日に歩いたとき、よくわからずじまいだった分岐が2カ所あったので、確認するために一人で中山へ。清荒神から登るのではなく、中山寺から登って中山寺に下りました。2時間、4kmほど歩いて2カ所とも確認できました。歩数計では18794歩。蒸し暑くて、どっさり汗をかきました。

 

 この間、何度か中山を歩いて、紫陽花に癒されました。

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 中山寺の境内では大きな鉢に植えた蓮の花が見事でした。

 

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二つの連ドラに出演している俳優さんが6人も!

 春シーズンの連続ドラマを見ていて、「あ、この人、ここにも出ている!」と驚いた俳優さんが何人もいました。

 芳根京子 「コントが始まる」「半径5メートル」

 吉田羊  「きれいのくに」「生きるとか死ぬとか父親とか」

 國村隼  「今ここにある危機とぼくの好感度について」「生きるとか死ぬとか父親とか」

 中村倫也 「珈琲いかがでしょう」「コントが始まる」

 松坂桃李 「今ここにある危機とぼくの好感度について」*1「あのときキスしておけば」

 渡辺いっけい「「今ここにある危機とぼくの好感度について」*2「大富豪同心2」

 

    *1「あのときキスしておけば」は見ていません。

    *2「大富豪同心2」は始まったばかりです。

 

 連ドラに出演できるかどうかは俳優さんにとって大問題のはず。大勢いる俳優さんの中で一部の俳優さんたちが二つのドラマに出ているというのはいったいどういう訳なんでしょう。偶然にしては人数が多すぎる気もして、不思議でなりません。

 

 このシーズン、いくつもドラマを見ていて一番印象に残った俳優さんは「大豆田とわ子と三人の元夫」に出ている石橋静河(しずか)です。ゆで卵の殻を剥いたようなつるんとした肌の印象と不思議な存在感が気になりました。

 調べてみたら、原田美枝子石橋凌の娘で、ダンサーでもあるらしい。朝ドラ「半分、青い」で佐藤健が演じた律の妻役だったそうなのですが、覚えていません。2017年公開の映画「夜空はいつでも最高密度の青色だ」(私は見ていません)で新人賞を総なめにしたそうです。とりわけブルーリボン賞の新人賞は原田美枝子も受賞しており、親子での受賞は初めてだとか。これからも注目していきたい人です。

 ドラマはほかに「最強のオバハン 中島ハルコ」「イチケイのカラス」「コタローは1人暮らし」も見ていました。

 

追記:その後、蓮佛美沙子も「きれいのくに」と「理想のオトコ」の両方に出ていることがわかりました。吉田羊も蓮佛美沙子も「きれいのくに」での出演は最初の方のちょっとだけでした。

さらに追記:伊武雅刀が「コントが始まる」に出演、「今ここにある危機とぼくの好感度について」でナレーションを担当していました。

片岡秀太郎さんが亡くなられました

 片岡秀太郎さんが亡くなられたことを夕刊で知り、衝撃を受けています。中村吉右衛門さんがこのところ体調不良で公演を途中から休んだりなさっていて、気になっていたのですが、秀太郎さんについてはそんな情報をまったく聞いていませんでした。79歳になっておられたようです。人間国宝でした。

 以下、敬称を省略します。

 十三世片岡仁左衛門人間国宝)の子息。三兄弟の次男。兄は片岡我當、弟は十五世片岡仁左衛門人間国宝)です。品と柔らかみを備え、上方歌舞伎の伝統を受け継ぐ女形でした。

 ずいぶん前の話になりますが、京都の南座で見た「新口村(にのくちむら)」が忘れられません。幕が上がると、舞台は雪景色の村。中央に寄り添って立つ美しい男女。お揃いの衣装は黒地に上品で華やかな柄が浮き出ています。忠兵衛(立役)は今の仁左衛門、遊女・梅川(女形)は秀太郎でした。

 罪を犯して、死ぬしかないと決心した忠兵衛、忠兵衛と一緒に死ぬことを決意した梅川。二人は忠兵衛の故郷、新口村にたどり着きます。忠兵衛の父、孫右衛門が向こうからやってくるのを見て、二人は道ばたの小屋に隠れます。孫右衛門は息子が追われる身になったことを知り、心配でたまりません。

 わらじの緒が切れて、雪の中、年老いた孫右衛門はそれを直すのに難儀します。見かねた梅川が小屋から出てきて助けます。やり取りから、孫右衛門はこの女性が息子の恋人であること、そばの小屋に忠兵衛が身を潜めていることを察します。しかし、追手が迫っており、犯罪者とわかっている息子と顔を合わせることはかないません。孫右衛門はさりげなく逃げ道を教えます。二人が落ち延びていく姿を孫右衛門はいつまでも見守っています。

 孫右衛門を演じたのは十三世仁左衛門でした。高齢で、すでに目はほとんど見えていなかったらしいです。たしかに、足元は少しおぼつかなく見えましたが、それは孫右衛門が高齢だからと感じられ、視力がないようにはとても思えませんでした。親子の情愛が深くしみじみと描き出されて、熱いものが胸に込み上げました。忘れられない名舞台です。

・・・・・・・・・・・・

 秀太郎さんは上方歌舞伎の灯を消すまいと尽力してこられ、3期にわたって開かれた「松竹上方歌舞伎塾」の指導、公演の監修を担当されました。「おちょやん」で注目を集めた片岡松十郎さんは上方歌舞伎塾の卒業生です。

 一般家庭出身の愛之助を養子に迎えたのも、上方歌舞伎の伝統を受け継ぐ者を育てようとの思いからに違いありません。愛之助が思いがけずブレークしてすっかり有名人になり、その分、地元の大阪より東京での仕事が増えていったのは少し寂しかったのではないかと想像します。

 最近は歌舞伎を見なくなった私ですが、数十年の間、どっぷり浸かっていた歌舞伎の世界には今も愛着があり、郷愁さえ覚えます。頻繁に公演を見ていた頃に親しんでいた俳優さんがまた一人亡くなられたのは、なんとも言えず寂しいです。

 

リハビリ山行を続けています

 その後もほぼ週1回のペースでリハビリ歩きを続けています。

 5月9日。

 山の会の体験ハイキングのコースのうち、中山コースへ、家族と二人で行きました。中山寺→シンボル広場→東屋→夫婦岩→お地蔵さんのある分岐→中央展望所→山頂。昼ごはん。

 午後は午前中歩いた道を戻り、お地蔵さんのある分岐から奥の院へ。清荒神方面に向かって下ります。林道、渓谷沿い、尾根道をたどって大林寺→清荒神駅に到着。

 歩いてみてわかったのは、他のコースと距離を同じくらいにするためか、午後は山頂から奥の院へ行くのにわざわざ遠回りするのです。ちょっと徒労感を感じてしまいました。

 奥の院から大林寺までの道は、合っているのかどうか、途中でわからなくなりました。ロープづたいに急な岩場を下るところがあったりして、「体験ハイキングでこんな歩きにくい道を歩くかなあ」と頭の中が疑問符でいっぱい状態に。道を間違えたのかもしれません。この辺りに詳しい会員さんにいずれお聞きしてみようと思いました。

 道ばたで見た花。

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 グーグルレンズで調べましたが名前がわかりません。

 YAMAPでは歩いた距離は8.3km、5時間弱。上り589m、下り601mでした。歩数計では家を出てから帰るまで18km以上歩いていました。

 

5月15日。

 体験ハイキングのコースのうち、岡本駅発芦屋川駅ゴールのコースへ。午前中のルートはほぼわかるのですが午後の分がわからないので、山の会の友達でベテラン(でも年は私より若い)のゆこりんさんにつきあってもらいました。

 天上川公園→八幡谷登山口→山の神→はぶ谷→こもれび広場→七兵衛山→横の池。昼ごはん。

 午後は風吹岩→高座谷への分岐→道畦(あぜ)→鷹尾山→城山→山芦屋公園。

 午後のルートがやはりわかりづらくて、ゆこりんさんに教えてもらえて助かりました。私一人だったら、道に迷ってしまいそうでした。まさかこんなところを登らないよね?と思うようなところを登っていったりするのです。さすが山の会!? でも、後でそのややこしい一帯を歩いた時間を調べてみたら、20分もかかっていませんでした。初めてだったので、もっと長く感じていました。

 YAMAPでは歩いた距離は6.6km、4時間40分ほど(休憩を含みます)。上り573m、下り592mでした。歩数計では家を出てから帰るまで17km余り歩いていました。

 

5月23日。

 山の会の50代の友達、Yさんと二人で山行。阪急電車三宮駅西口から舗装路を歩いてJR元町駅の山手にある諏訪山公園へ。天気が良く暑くて、最近の習慣でマスクを二重にしていたら酸欠になりかけました。これからの季節は気温が上がり、暑い屋外でマスクをしていると熱中症になりやすいので気をつけないといけません。

 ルートは諏訪山公園→猩々池→善助茶屋跡。東屋で昼ごはん。午後は二本松バス停→堂徳山→市章山→錨(いかり)山→ビーナスブリッジ→諏訪山公園。

 午後のルートは友達に連れてきてもらって歩いたことがあるのですが、ほとんど覚えておらず、わずかな記憶とYAMAP頼みでした。YさんがYAMAPの地図を上手に見て、標識のない分岐で私が迷っていると「こっちだと思いますよ」と言ってくれるので助かりました。

 大雨が降ったあとだったので、雨の痕跡を引きずりにくいコースを選んだのですが、それでも道の上をごく浅い川のように水が流れている場所があったり、思いがけない地点に滝ができていたりして、

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やっぱり雨の影響が感じられました。

 歩き始めの酸欠状態を引きずったのか、いつもより疲れました。YAMAPでは距離は6.3km、4時間余り。上り504m、下り512m。歩数計では18.5km歩いていました。

 

5月26日。

 山の会のベテラン(年は私よりずっと若い)で健脚のSさんにお願いして15日に歩いたコースを一緒に歩いていただきました。7月末の体験ハイキングでSさんがCL、私がSLをすることになっているので、その下見です。

 ルートは同じなので省きます。平日で人は少なかったのですが、同じ山の会の会員さんに何度もお会いしました。私が知っている方はおられず、Sさんは全員ご存知の方ばかりでした。

 本番を想定して歩くスピードを確かめたり(といっても私はゆっくりしか歩けませんが)、休憩のポイントと休憩時間を確認させてもらったり。横の池は増水していて、そういう場合は昼休憩の場所に出るまでに道を迂回していく方法を教えていただきました。午後の「こんなところを歩くの!?」ポイントは、2度目だったのでごく短い距離だとわかりました。歩きながらいろいろ話したり聞いたりできて、今まであまりお話ししたことのなかった方なのに、いっぺんに距離感が縮まりました。

 YAMAPでは距離は6.6km、4時間50分。上り568m、下り586m。歩数計では18km近く歩いていました。

 

 

能楽界の苦境

   ツイッターで見つけた川口晃平さん(HN古墳系男子さん)という能楽師さんのブログ記事です。心に迫るものがありますので紹介させていただきます。

 

これは書いていいのかわかりませんが、能楽師の主催する能公演の殆どは赤字で行われています。
それはチケットが完売した場合の収入から舞台使用料や諸経費、出演者への御礼を差し引くとゼロになる計算だからです。
チケットを高くすれば売れませんし、安くするとキャパの小さい能楽堂では収入が足りなくなります。
そしてチケットが売り切れることはなかなか有りませんから、始めから赤字を見越して行われるのです。
また多くの場合、公演の宣伝から諸々の手配、チケットの配送など全ての事務作業を能楽師個人が行わなくてはなりません。
能楽師は公演の当日まで役者として研鑽しつつ、同時にこの事務作業に追い詰められなくてはならず、なかなか役者業に集中させてもらえません。
それでもこの曲をこの共演者で舞ってみたい、挑戦してみたいという思い一つで、能楽師は公演を打ちます。
ですからその意気に感じて、できるだけ多くのお客様が能楽堂に足を運んで下さることを願ってやみません。

歌舞伎のように企業によって運営されず、文楽のように国から補助を受けていない能ですが、世界一の美意識と日本文化の粋が生きている、人類にとって失うべからざる古典です。
これほど価値のあるクラシックを、なかなか楽に運べない能役者達の掌に任せておくのは本当に危うい感じがいたします。
また、この苦しい台所事情で、能楽師は大名が威信をかけて作らせていた能面能装束を保全し、舞台で使用し次代に伝えていかなくてはなりません。
殊に能装束は新しく作り継いでいくことが重要ですが、技術の粋を尽くした衣装ですから当然の如く非常に高価で、なかなか普段手の届くものではありません。
それでもお金を貯めては装束を作るのが能楽師という人々です。
能楽師が作らなくなれば、装束屋さんも潰れ(実際ここ数年でいくつか廃業しています)、室町以来蓄積してきた高い技術や美意識も風化していきます。
装束以外の小道具も職人の高い技術に支えられてきましたが、職人は減る一方で危機的な状況です。
また、能面能装束の海外流出も続いています。
そんな厳しくなりつつある状況のなか、能楽師たちがなぜ能を決して手放さず日々勤めているかと言えば、能の素晴らしさを強く信じているからです。
それは、あらゆる国民が享受している日本文化の屋台骨の一角を、大きな喜びをもって支える活動です。
皆さんにも参加していただきたい。
能にふれ、能を習い、能を見に来て、能のファンになってください。
必ずや能は人生を歩む上での宝物になると信じています。

プロフィール

古墳系男子のプロフィール

古墳系男子

性別:
男性
誕生日:
1976年4月13日
お住まいの地域:
東京都
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イスカの動画です

youtu.be

 イスカって雌雄で色が違うんですね。茶色っぽいのが雄です。

 ちなみに「仮名手本忠臣蔵」で勘平が「イスカのはしの食い違い」と言うのは、自分の行動と周囲の人の行動がかみ合わず、誤解の積み重なりで切腹に追い詰められる仕儀になってしまったよ、という嘆きの術懐です。

 

諏訪山公園〜再度公園〜森林植物園〜谷上。久しぶりに10km以上歩きました

 昨日は山の会の友達、ユコリンさんと半年以上ぶりに再会して一緒に山を歩きました。家族やほかの友達もいて4人のグループです。JR神戸線元町駅を北へ登り、諏訪山公園へ。ストレッチをして、神社の境内を抜け、大師道を歩きます。もみじの青葉が目にしみるような美しさです。

 猩々池、善助茶屋跡を経て昼前、再度公園に到着。今まで見たことがないほどたくさんの人が来ています。小さい子どもを連れた家族が多いようです。無料の広い駐車場があるので、車で出かけるのに絶好の場所だからでしょう。敷地が広いので密になるおそれもありません。

 ベンチが全部埋まっていたので、木陰の地面にシートを敷いてお昼ご飯に。野外で食べるご飯はとびきり美味しい!

 午後は善助茶屋まで戻って、堂徳山、市章山、錨山を経て元町にゴールという予定だったのですが、ユコリンさんは「森林植物園でシャクナゲが見頃だからそっちへ行くわ」と言います。私もシャクナゲに心をひかれたので予定を変え、引き続きユコリンさんと行動をともにすることにしました。

 洞川湖のほとりを歩くと、野鳥の写真を撮ろうとデカい望遠レンズを構えた人が数人いました。「どんな鳥がいるんですか」と尋ねてみると、「イスカが何羽もいるんですよ。あそこに」。指差す方向にあった木を探してみましたが、鳥の姿は見つけられませんでした。イスカといえば仮名手本忠臣蔵の勘平が切腹に追い込まれる場面で語る「イスカのはし(くちばしのこと)の食い違い」というセリフを思い出してしまいました。イスカは上下のくちばしの先が合わさらず、左右に離れているらしいです。

 学習の森に着き、森林植物園の西門へ。森林植物園は今、施設(建物)には入れませんが園内の通行は自由です。

 目当てのシャクナゲは残念ながらもう終わっていました。今年は花の咲く時期が早いですね。でも、きれいな花がいくつも咲いていました! オオデマリアジサイの仲間のように見えます。

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 サラサドウダン。小さな鈴のような花が可愛い! 色も個性的です。

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 エビネ

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 これもエビネだそうです。

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 ユキモチソウ

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 花を見るのは何より好き。眼福です。

 山田道を歩き、谷上でゴール。以前は増水すると渡れなくなる所が1箇所ありましたが、橋じゃないけど橋のようなものが設置されていて、渡れるようになっていました。助かる!

 YAMAPの記録では10.7km、5時間15分ほど歩いていました。上り高低差は610m、下りは455mです。リハビリ歩きを始めてから、10km以上を歩いたのは初めてです。きつい登りや下りはまったくなかったので、楽しく歩ききることができました。

八幡谷〜打越峠〜クリンソウの小群落を見て七兵衛山〜はぶ谷を下る

 4月下旬、友達を誘ってこの前のコースをおさらいすることにしました。いずれは体験ハイキングのリーダーをしないといけないことになるので、道を覚えておきたいのです。

 打越峠までは前回どおり。ここで山の会の先輩たち4人のグループに会いました。みなさん口々に「クリンソウが咲いているから見てきたらいいよ」と言うのです。クリンソウといえば、桜草に似た可愛い花です。予定外でしたが、道を教えてもらい、見に行くことにしました。

 打越峠から住吉川方面に向かう道を下って行きました。林に囲まれた、気持ちの良い道です。15分ほど歩くと、左手にクリンソウの小さな群落が見つかりました。そこだけよく日が当たっていて、とても元気そう。つぼみもたくさん付いています。

 

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 草丈は50〜60センチくらい。こんなに大きくなる植物だとは知りませんでした。山に咲いている花との出会いはタイミングが難しく、こんな見頃の時期に出会うのは幸運です。教えてくださった先輩たちに感謝!

 しばらく楽しみ、写真を撮ったり、通りがかったハイカーに教えてあげたりもして、元の打越峠に戻りました。ちょうど12時。折良く他に誰もいなかったので、ベンチで昼ごはんにしました。

 クリンソウを見に行った分だけ予定より時間がかかったので、七兵衛山に登って眺望を楽しんだあとは、はぶ谷を下って岡本駅に戻りました。YAMAPの記録では八幡谷入口をスタートしてから天上川公園に戻るまで5.3km、4時間25分でした。